クウェート
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総計(2020年427万1000[1]人(127位
人口密度239.7[1]人/km2

GDP(自国通貨表示)
合計(2020年)324億4500万[2]クウェート・ディナール (KD)

GDP(MER
合計(2020年)1059億4900万[2]ドル(59位
1人あたり2万2683.638[2]ドル

GDP(PPP
合計(2020年)2020億1100万[2]ドル(52位
1人あたり4万3250.466[2]ドル

独立
 - 日付イギリスより
1961年6月19日
通貨クウェート・ディナール (KD)(KWD
時間帯UTC+3 (DST:なし)
ISO 3166-1KW / KWT
ccTLD.kw
国際電話番号965

クウェート国(クウェートこく、アラビア語: ???? ??????‎)、通称クウェートは、西アジア中東に位置する立憲君主制国家。首都はクウェート市

1990年イラクに一時占領された(湾岸危機)。北と西にイラク、南にサウジアラビア、東にペルシャ湾がある。
国名

正式名称はアラビア語で、???????? ???????????( Dawlat al-Kuwait, ダウラト・アル=クワイト, 実際の発音:ダウラトゥ・ル=クワイト)。アラビア語で「小さな ????(k?t, クート, 城)」という意味がある[3]。クウェイトやクウェートはいずれもクワイトの口語発音(現地方言発音)。

公式の英語表記はState of Kuwait。通称 Kuwait [ku??we?t](クウェイト)。

日本語の表記はクウェート国。通称クウェート。クウェイトとも表記される。
歴史詳細は「クウェートの歴史(英語版、アラビア語版)」を参照
古代詳細は「シュメール」および「メソポタミア」を参照
オスマン帝国

16世紀ごろより現クウェート領域はオスマン帝国の支配下にあり、統治拠点はバスラにあった。
サバーハ家

18世紀に入ると、当地にバニー・ウトバ族(英語版)のサバーハ家 (Al-Sabah) が勃興し、1756年その首長がオスマン帝国の下で当地域の統治を担うようになる。1756年現首長家(サバーハ家)による支配が始まる。サバーハ家は、サウジアラビアサウード家を輩出したスンナ派のアナイザ族(英語版)出身のバニー・ウトバ族(英語版)で、バニー・ウトバ族はアラビア半島中部より移動してきたと考えられており、バーレーンハリーファ家や有名なen:Buccaneerの片目の船長en:Rahmah ibn Jabir al-Jalahimahを輩出したen:Al Jalahmaもその一族である。このころのクウェートは漁業真珠の採集、交易が主な産業であった。1783年には、ファイラカ島ブビヤン島の中間にある浅瀬リッカでバヌー・カアブ(英語版)と呼ばれるアラブ系の一族とリッカの戦いと呼ばれるものが起きて勝利した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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