クイーン・エリザベス_(客船)
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クイーン・エリザベスは当初、まだ戦火に覆われていないオーストラリアからイギリスの植民地が点在するアジアアフリカの間で運航された[1]ものの、1941年12月の日本とイギリス、オーストラリアの間の開戦と、その後の日本軍に対する敗北とそれに伴うアジア方面の制海権喪失、シンガポールを含むマレー半島香港などの植民地の喪失を受けて、1942年以後はアメリカヨーロッパの間の北大西洋のみで運航された[1]
航路客船

1945年8月の第二次世界大戦の終結に伴い、軍役から戻ったクイーン・エリザベスは、ジョン・ブラウン(John Brown)造船所で内外装を大幅に改修され、ようやく旅客船として北大西洋航路に投入された。「クイーン・エリザベス」は「クイーン・メリー」とともに、サウサンプトンからシェルブールを経由しニューヨークまでの路線を、20年以上にわたって運航された。

しかし1950年代に入ると、ダグラス DC-6ロッキード コンステレーションなどの大型旅客機が大西洋横断路線に就航した。さらに1958年には、大型ジェット旅客機のボーイング707が就航し、ロンドン - ニューヨーク間を6時間程度で結ぶとともに、運賃も低下した。1960年代に入ると、「クイーン・エリザベス」をはじめとする北大西洋航路定期船の乗客は急激に減り、採算性は低下した。ビクトリアハーバーに放置されたクイーン・エリザベス

2隻の“クイーン”を維持するための燃料費・人件費は、キュナード社にとって重荷になった。キュナードは両方の船を1969年に退役させ、初代より小型で経済的な「クイーン・エリザベス2」(QE2)を使用した。
最期

退役後、アメリカのフィラデルフィアの実業家に売却されたが、資金難のため1970年香港の海運王董浩雲の経営する東方海外貨櫃航運公司に転売された。香港の造船所で洋上大学への改造が行われていたが、1972年1月9日に原因不明の火災を起こし、消火活動の影響により転覆した。当時、円谷エンタープライズが寄航誘致を行い、日本でのクルーズが計画されてポスター等も完成していたが、上記事情により中止された[2]。その残骸は2年あまりビクトリア・ハーバーに放置されていたが、『007/黄金銃を持つ男』のロケが行われた後、1974年から1975年にかけて解体された。

なお2010年には、クイーン・エリザベス2の後継となる3代目「クイーン・エリザベス」が就航した。
脚注
注釈^ 1952年、長女・エリザベスの即位により王太后になった。

出典^ a bhttp://www.ayrshirescotland.com/ships/ships/042queenelizabeth.html
^ 円谷皐『怪獣:ウルトラマンが育てた円谷商法』世紀社出版〈世紀社101シリーズ〉、1972年。 [要ページ番号]

外部リンク

RMS Queen Elizabeth story and picture

Maritimematters.com: The ELIZABETH in Florida

記録
先代
クイーン・メリー世界最大の客船
1940?1968年次代
フランス










キュナード・ライン客船
運航中の客船

クイーン・メリー2(2004)

クイーン・ヴィクトリア(2007)

クイーンエリザベス(3代)(2010)

過去の客船

1900年以前

ブリタニア(1840)

アビッシニア(1870)

セルビア(1881)

エトルリア(1884)

アンブリア(1884)

カンパニア(1892)

ルカニア(1893)

イヴァーニア(初代)(1899)

1901 - 1910年

カルパチア(1903)

カルマニア(1905)

カロニア(初代)(1905)


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