クイーン・エリザベス2号
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キュナード・ラインの親会社カーニバルは、2007年10月10日の記者会見で、新たに建造するクルーズ客船に、次代の「クイーンエリザベス」と命名すると発表した。新「クイーン・エリザベス」は「クイーン・メリー2」の同級船ではなく、「クイーン・ヴィクトリア」の準姉妹船として建造され、2010年に就航した。
技術面ブレーマーハーフェン造船所で機関換装中の本船機関換装のためファンネルを外したところ

本船は就役当初から世界有数の高速客船であった。就航当初の機関はFoster Wheeler E.S.D II重油ボイラー3基・Brown-Pametrada社製の蒸気タービン2基で最大110,000馬力(通常出力は94,000馬力)の出力を発揮し、2機6葉の固定ピッチスクリューを駆動していた。軸単位で言えばアメリカ海軍の通常推進型空母に匹敵する高性能であり、当初は機関故障に悩まされた。1974年4月には缶の故障で航海中に漂流する事態に陥り、他社のクルーズ客船「シー・ヴェンチャー」の救援を受けた。なお「シー・ヴェンチャー」は後にプリンセス・クルージズに買収されて「パシフィック・プリンセス」と改名され、カリブ海クルーズの人気に火をつけたテレビドラマ『ラブ・ボート』の撮影舞台となった。

蒸気パワープラントは航海速力28.5ノット時で24時間に520トンの重油を消費する効率の悪いものであり、1973年オイルショック以後は採算を取るのが困難となっていた。また、上述のように船が漂流してしまうなどの問題を抱えており、さらにボイラーやタービンの修理用部品の入手も困難になりつつあった。就航後17年にして、キュナード・ラインは新造するか効率の良いディーゼルに換装するかの選択を迫られた。設計から建造まで造船所で数年待たされる新造船の建造よりも、6か月の期間で運航に復帰し、さらに20年間運航を延長できて安上がりな後者が選択された。

1986年から1987年にかけて、6か月にわたる改修工事が実施された。工事はドイツのロイド・ヴェルフト社で施工され、古いパワープラントは撤去・解体のうえドイツMAN社のL58/64・9気筒中速ディーゼル機関9機に換装、砕氷船しらせ」と同じ推進方法であるディーゼル電気推進を搭載した。それぞれの発電機は10.5メガワット出力で10,000ボルトである。この発電プラントは変圧器を介してホテルサービスと2機の推進モーターを駆動する。これらのモーターは、44メガワット出力の同期式で、スクリュー・プロペラは直径9メートル、重量400トンである。巡航速度は28.5ノット(52.8キロメートル毎時)で、7機のディーゼル発電機を使用する。新型の機関の最大出力は130,000馬力で、以前の110,000馬力より大幅に向上した。燃料消費は以前と同じIBF-380('C'重油)を使用しつつ、35%節約することに成功した。ファンネルは9機のB&Wディーゼルエンジンの排気管を通すため、より幅広のものに交換された。機関換装後は28.5ノット航海時の燃料消費量が一日380トンへと削減された。なお、この速度では搭載されたディーゼル発電機9基中7基の運転で十分であり、航海中でも常時2基以上の発電機を停止してメンテナンスを行っている。工事終了後の全力運転試験では33ノット以上の速力を発揮した。

同様に固定ピッチスクリューは可変ピッチ式に交換された。古い蒸気タービンでは前進と停止だけだったが、新しい可変ピッチブレードによって同じ回転方向でも後進することができるようになり、短距離で停船が可能となって操船性が大幅に向上した。新しいスクリューにはグリムホイールが装備された。これはスクリューの後ろで空回りすることで渦流を推進力に換え、燃料消費率を2.5から3%向上させることを企図されていたが、試験運航後ドライドックに入渠した時に、羽根が破損しているのが発見され、ホイールは外された[7]。なお、この大規模改装時に交換した青銅製スクリューからゴルフクラブが製造され、限定販売された。

これら改修にかかった費用は約1億ポンドに達した。

機関換装後の最初のクルーズでは、ディーゼル発電機の調整不良のため煤煙が生じ、乗客の衣服を汚損したためクリーニング代金の負担や乗船料金の一部返還などに至った。
トラブル

1973年5月、本船に対しての爆破予告と身代金35万ドルを要求する脅迫事件が発生し、大西洋を航行中の本船にイギリス軍特殊部隊の隊員などが洋上降下で乗り組んで捜索活動を行った[8]。結局、爆破予告は虚言で身代金も奪われることはなく、犯人は後にFBIに逮捕され懲役20年に処せられた[9]

2000年7月4日20世紀最後のアメリカ独立記念日を祝う洋上式典に参加するためニューヨーク港に入港した際、係留されていた海上自衛隊練習艦かしま」に接触する事故を起こした。双方に大きな被害はなかったが、本船乗組員は謝罪のため「かしま」を訪れた。その際「かしま」艦長の上田勝恵一等海佐(当時)は「幸い損傷も軽微で、別段気にしておりません。それよりも女王陛下のキスを賜り光栄に思っております」とコメントを返した。
日本における評価

本船は、日本のマスメディアからは21世紀に入っても「世界最大の客船」と紹介されることが多かったが、実際に総トン数で世界最大だったのは就役時から1980年までで、同年客船「フランス」を改装したクルーズ客船「ノルウェー」(7万0202総トン)が再就役して世界最大客船の座を奪っている。その後QE2は1987年のエンジン換装と同時に施されたキャビン増設で一時的に世界最大の座に返り咲いたが、1988年にはロイヤル・カリビアン・クルーズラインの新造クルーズ客船「ソブリン・オブ・ザ・シーズ」(7万3192総トン)が就役し、その後はクルーズ客船の際限のない巨大化に伴い順位を落としている。2007年時点での総トン数ランキングでは100位前後となっていた。

それにもかかわらず、日本のメディアによる本船の扱いは客船の中でも別格だった。日本では英国女王の名を冠したためとも、昔日の「豪華客船」を彷彿とさせるイメージがあるためともいわれる[誰によって?]が、いずれにしてもその突出した扱いに引きずられてクルーズ客船を一概に「豪華」客船と捉えるメディアの姿勢が日本における大衆クルーズの発展を阻害しているという船舶関係者[誰?]からの指摘もある。

1989年には横浜博覧会開催にあわせ、横浜市・横浜商工会議所・三井物産・西洋環境開発等の出資により第三セクター「ポートヨコハマ130」を設立しチャーターを行い[10][11]、ホテルシップとして約2か月間横浜港大さん橋に停泊した。また同年、日本テレビ系バラエティ番組『笑点』の「大喜利」コーナーで、座布団10枚の賞品として本船でのロケが行われた[12]。1989年12月から1990年6月には、丸紅・サッポロビール・松下電器産業など大手企業19社が出資した「マリン・レジャー開発」のチャーターにより[13]、日本近海での12回のクルーズや東京港・大阪港に停泊してのホテルシップが実施された[14]

現役最後の世界一周クルーズでは、2008年3月19日に日本で唯一の寄港地となった大阪港天保山岸壁に入港した。
ギャラリー

シドニー港で

イギリス、サウサンプトンドックで(1976年

大阪港天保山岸壁に接岸中の本船(2008年3月19日

右舷船尾方向よりのぞむ(2008年3月19日)

船尾部分。イギリス商船旗レッド・エンサイン)を掲げている(2008年3月19日)

船橋(ブリッジ)部分。マスト日の丸を掲げている(2008年3月19日)

右舷13番救命ボート(2008年3月19日)

脚注[脚注の使い方]^ 9基をローテーションで7基発電、2基メンテナンスする。
^ “クイーン・エリザベス号”. 日本大百科全書(ニッポニカ)(コトバンク所収). 2018年5月30日閲覧。
^ 山田廸生「『QE2』船名考」『世界の艦船』267号、1979年4月


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