クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス
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再びニック・グラヴィナイツが楽曲提供し、ニッキー・ホプキンスを迎えて新たな展開を図る。1969年はライブ活動出演を減らしダンカン、ヴァレンティが復帰しスタジオ・ワークに時間を割き、翌1970年に6人編成で傑作アルバム『ただ愛のために』をリリース、同年に録音したアルバム『ホワット・アバウト・ミー』の頃にはホプキンスが、1971年に入るとジョン・シポリナも抜けてしまう。何度目かのドラッグ所持逮捕から脱退を余儀なくされたフライバーグは復帰を避けカントナー、グレイス・スリックらの末期ジェファーソン・エアプレイン(ジェファーソン・スターシップ)に合流する。

バンドの音楽志向や活動方針が固まっていなかった初期からメンバーの信頼と期待を一身に集めたディノ・ヴァレンティは、フラワー・ムーブメントで賛歌の一つだった「ゲット・トゥゲザー」(ヤングブラッズでヒット)の作者として有能なソングライターだった。詳細は「ゲット・トゥゲザー (1964年の曲)」を参照

バンドにとってこの楽曲制作者は、レーベル契約に欠かせない存在だったが前述の通り、麻薬違反服役で脱落、残されたメンバーはライブ演奏に活路を見いだして地元では絶大な人気を獲得し、遅いレーベル契約を経て全国的な名声を博する成功を勝ち取った。ヴァレンティの復帰はバンドの弱点だった楽曲制作者不在は解消されたが皮肉にもメンバー間に不和をもたらしてしまう。ヴァレンティの作る耽美的メロウな曲やラテン・ロック等のアプローチといった音楽指向は、1970年代以降にダンス音楽嗜好のロック・ミュージックからシンガーソングライター・ブームやAORのブーム迎合到来のなか完成されてゆくもので、時流のリズムがずっしりしたギター楽曲(ハードロックなど)にアイアン・バタフライなどが全盛の時期では早すぎ場違いなものだった。サンフランシスコを離れ、オリジナル・メンバーのジム・マレイが長期滞在のサポートを行いハワイ州オアフ島ハレイワのスタジオでじっくりと録音作業を進めた『ただ愛のために』は良作だったが、ライブ演奏で名を高めたクイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスを否定しかねない作品だった。
解散、再結成、再活動

ディノ・ヴァレンティとゲイリー・ダンカン、グレッグ・エルモアらにより活動を続けることとなり、ヴァレンティが中心となって1971年に『クイックシルヴァー』、1972年に『カミン・スルー』というアルバムをリリースするが、1973年頃にはトラブルを抱える様になりバンドの活動を停止することになる。1975年に一度最盛期のメンバーで再結成アルバムを制作、コンサートを行うが何のリアクションもなく幕を閉じた。

1980年代に入るとグレイトフル・デッドの復活とともにサン・フランシスコの音楽が活気づくとゲイリー・ダンカンがグループを復活させてゲイリー・ダンカンズ・クイックシルヴァー[6]の名の下にサンフランシスコのローカル・シーンで活動を再開。1996年まで活動した。2006年、バンド結成40周年を機にクイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス名義で活動を再開し、2009年からデヴィッド・フライバーグズ・クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスに名義変更して活動を続けている。
ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム

『クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス』 - Quicksilver Messenger Service (1968年)

『シェイディ・グローヴ』 - Shady Grove (1969年)

『ただ愛のために』 - Just for Love (1970年)

『ホワット・アバウト・ミー』 - What About Me (1970年)

『クイックシルヴァー』 - Quicksilver (1971年)

『カミン・スルー』 - Comin' Thru (1972年)

『伝説の不死鳥!』 - Solid Silver (1975年)

ゲイリー・ダンカンズ・クイックシルヴァー

『ピース・バイ・ピース』 - Peace By Piece (1986年)

Shape Shifter Vols. 1 & 2 (1996年)

Three in the Side (1998年)

Shapeshifter Vols. 3 & 4 (2006年)

Strange Trim (2006年)

Six String Voodoo (2008年)

The Hermit (2010年)

ライブ・アルバム

『ハッピー・トレイルズ』 - Happy Trails (1969年) ※旧邦題『愛の組曲』

『ライヴ・アット・フィールドストーン』 - Live at Fieldstone (1997年)

Live at the 7th Note (2007年)

Live 07 (2008年)

Reunion (live at The Sweetwater, Mill Valley, CA, June 7, 2006) (2009年)
[7]

Maiden of the Cancer Moon (1983年)

At the Kabuki Theatre (2007年)

Live at the Avalon Ballroom, San Francisco, 9th September 1966 (2008年)

Live at the Avalon Ballroom, San Francisco, 28th October 1966 (2008年)

Live at The Fillmore, San Francisco, 4th February 1967 (2008年)

Live at The Fillmore, San Francisco, 6th February 1967 (2008年)

Live at The Carousel Ballroom, San Francisco, 4th April 1968 (2008年)[8]

Live at the Quarter Note Lounge, New Orleans, LA, July 1977 (2009年)[9]

Live at the Fillmore, June 7, 1968 (2013年)

Live at The Old Mill Tavern - March 29, 1970 (2013年)

Live at the Winterland Ballroom, December 1, 1973 (2013年)

Fillmore Auditorium - November 5, 1966 (2014年)

Cowboy On The Run (Live In New York) (2015年) [10]

Live in San Jose - September 1966 (2015年)

Fillmore Auditorium - February 5, 1967 Live (2015年)

『ストーニー・ブルック・カレッジ、ニューヨーク・1971』 - Stony Brook College, New York 1970 Live (2015年)

Live Across America 1967-1977 (2016年)

More Happy Trails 1969 - Live (2016年)

コンピレーション・アルバム

Revolution (1968年) ※映画サウンドトラック。with
スティーヴ・ミラー・バンド、マザー・アース

『アンソロジー』 - Quicksilver Anthology (1973年)

Sons of Mercury 1968-75 (1991年)

Unreleased Quicksilver Messenger Service - Lost Gold and Silver (1999年)

Classic Masters (Remastered, 2002年)

Castles in the Sand (Studio Jam 1969/70) (2009年) [11]


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