クイズダービー
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

注釈^ 徳光和夫の司会就任時から。
^ 巨泉が自らの趣味を番組の内容に反映させた例としては『11PM』(日本テレビ)をはじめ、『世界まるごとHOWマッチ』(毎日放送)でゴルフのルールが取り入れられていたことなどがある。
^ 局によっては2人分の必要事項を添えてハガキで系列局に応募する。
^ テレビ東京の『徳光のTVコロンブス』(同番組は司会就任より1週早い4月7日に開始。この日『クイズダービー』は改編期特番で休止だった)共々日テレ以外での最初の仕事であり、TBS系列での初のレギュラー番組でもある。巨泉は久米宏も考えていたが、自分と同じ丸顔の徳光に決めたという[5]
^ 18:30より放送。
^ 第36回(1976年9月4日)のみ海原千里・万里がコンビで出場。
^ 実例として1986年3月10日放送分では、当時現役力士であった大乃国北尾旭富士の3人が登場したが、体格が大柄ゆえに2人1組の編成が困難なことから、個人別での出演となった。
^ 徳光時代では3択問題でもゲスト解答者だったダニエル・カール藤田朋子松田聖子加藤博一久本雅美赤井英和に8倍が、更に瀬川瑛子に9倍が付いたことがある。
^ 1982年1月3日放送分(第310回)や1988年9月24日放送分(第659回)等、最終問題ではらの倍率が1倍の倍で2倍だったこともある。
^ 徳光は他のクイズ番組でも正解を発表したり解答者の答えを出す時にこの掛け声を発している。
^ 第1回は10万円越え達成者はいなかったが、獲得した賞金の全額を会場にいた当時の会長に寄付するセレモニーが行われた。
^ 2010年6月に「 ⇒TBS未来への生命募金」へと組織変更し、2013年4月の寄託をもって終了した。
^ 0点になったチームには「残念でしたね」と申し訳なくいうのが基本だったが、まれに、もったいないところで0点になったチームには「何してるんですか、○○さんにかけとけば10万点だったのに」や「珍しいですね(はらが不正解の時)」とたしなめることもあった。
^ 本編終了時にはスタジオ内の番組ロゴ看板のアップからズームアウトしてスタジオの全景が映り(観客席の前列も映っていた)、巨泉→徳光がスタジオ中央に立って締めの挨拶をしていた。
^ それ以前の復活版でも巨泉は「また来週じゃなくて良いお年を」(2000年12月の『SAMBA・TV』での復活版)、「というわけでございまして『クイズダービー』、また来週と行きたいんですが来週はありません」(2004年の『ロンロバ!』での復活版)、「お楽しみいただけましたでしょうか。それではまた来週と行きたいんですがそうは行きません」(2014年12月の『金スマ』での復活版)と言って締めていた。
^ 最初期はゲストの名前だけ記載されていたが、後に大会名とゲストの写真が表示されるようになった。また、1986年10月4日放送分(第558回)からは次回のゲスト解答者が登場してコメントを行っている最中に大会名が表示される演出に変更されている(同時期に始まった前枠の『まんが日本昔ばなし』の終了時に流れるクロスプログラムもゲストのコメント映像となっていた)。
^ 1989年6月にロート製薬がCIで会社のロゴを変更したため、同年6月3日放送分(第692回)からはエンディングの提供アナウンス(「健やかな明日のために ロート製薬の提供でした」)及び提供クレジットが変更された。
^ レース結果を表示する表示板もスタジオセット変更に合わせて数回リニューアルが行われている。
^ この場合、出題者は問題本文を読む前に「ちょっとこちらをご覧ください」と一言添える。
^ 『クイズまるごと大集合』での青席は敗者復活チームが座った。
^ 資料映像等で地上波で放送される場合には異なる場合がある。例えば、2014年の復活特番放送時に過去の映像が引用された際には、製品名看板をCG処理により消去していた。
^ 復活特番もこのセットで再現された。
^ 従来と違う展開になると「奇っ怪な…」、出場者が総じて得点を増やせない時は「出場者が悪いわけではない。」、最終問題で出場者が全額賭けずに持ち点を残した時は「固いね。」などとシーンごとに独特の決め文句を発していた。
^ ただし、オープニングにおいてタイトルコールと冒頭の挨拶を行った。また、エンディングでも解答者席から前に出てきて、司会者の巨泉とともに締めの挨拶を行った。
^ 1989年3月25日、1990年1月13日・3月31日・11月3日、1992年5月2日放送分。
^ 1992年1月11日・9月12日・12月19日放送分。
^ 1979年10月20日、1981年6月6日、1982年5月15日・9月25日、1983年7月2日・9月24日(2枠)、1984年3月3日、1985年7月6日、1986年2月15日、1988年9月3日、1989年5月13日放送分。
^ 1992年12月19日放送分。
^ 1982年6月5日、1983年11月12日放送分。
^ 1984年12月1日、1986年1月11日・8月16日・11月29日、1989年4月8日・10月7日放送分。
^ a b c d 1990年3月31日、1992年12月19日放送分。
^ 1988年9月17日、1990年8月25日、1992年8月22日放送分。
^ 1986年6月28日放送分。週替わり制時の1992年12月12日放送分も出場者として出演。
^ 1987年7月11日・12月19日、1988年1月30日放送分。レギュラー着任前の成績は、2勝22敗・0割8分3厘だった。
^ それゆえ、巨泉より「裏切り狸」と名付けられる。
^ 1979年6月9日、1983年9月24日(3枠)放送分。
^ 1992年8月29日放送分。
^ 第2回から第6回には1枠解答者として出演。
^ 1991年10月に裏番組がスタートしてからは出演しなくなった。その影響で、期首特番『クイズまるごと大集合』が1991年春で事実上終了となった。
^ 放駒親方時代にも数回ゲスト解答者として出演経験がある。
^ 2回。
^ 過去7回ゲスト解答者として出演し、そのうち第700回(1989年7月29日放送分)と第750回(1990年7月28日放送分)は共に0勝8敗の全問不正解であった。
^ 過去3回ゲスト解答者として出演し、第798回(1991年8月3日放送分)の1問目から第852回(1992年9月19日放送分)の7問目まで不正解だった。
^ 他局である日本テレビ、フジテレビからも出演していた。
^ 日テレ入社以前に立教大学在学中の1988年7月9日放送分にも出場者として出演していた。
^ 1時間を通してロート製薬の一社提供で放送された。製薬会社のレギュラー番組は、紳士協定により31分以上の単独提供はできない規則になっていたが、単発番組だけは例外だった。
^ これに伴い、倍率が1桁時の表示は、電光式時代の中央から、画面右側に変更された。
^ 番組の象徴的な存在であるはらの席をそのまま再現していたが、はらは2006年に死去し空席になっており、中居が代役として座ることになった。
次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:293 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef