デル・トロはカルロ・コッローディの『ピノッキオの冒険』とメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』との間に共通するテーマ(善悪の判断や道徳、倫理、愛情、生命といった人間らしさを形作る要素を自らの力で見つけ出すことを望む父親によって生み出された「子供」が現実世界に放り出される)を感じており、『フランケンシュタイン』の影響を受けて『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』はゴシック調に演出されている。一方、映画はファミリー層向けに製作されており、デル・トロは親子が世代を超えて繋がり、子供たちが「思いやりの心」を理解することを期待していると語っている[16]。
物語の舞台はベニート・ムッソリーニが支配するファシズム時代のイタリア(英語版)に設定されており、「市民が従順な操り人形として生きる世界」にピノッキオが生まれるが、ピノッキオは大人たちとは異なり自由奔放に振る舞おうとする。これは、『ピノッキオの冒険』の根底には大人に従う「良い子」であることを美徳とする価値観があると感じていたデル・トロが、映画におけるピノッキオの美徳を「逆らうこと」として、自己を見つけ出し、命令や言いつけに従うかを自分自身で判断することにフォーカスを当てたためである[16]。グスタフソンも、ムッソリーニや死の精霊といった相手に対しても規則や権威に服従しないピノッキオのキャラクター性に魅力を感じたという[14]。ゼペットとピノッキオの心情的な対立も、行儀の良かった息子カルロの代わりを求めるゼペットと自由奔放なピノッキオという構造で描かれており[16]、『デビルズ・バックボーン』『パンズ・ラビリンス』『シェイプ・オブ・ウォーター』など歴代のデル・トロ監督作品に共通する「異形の者の人間性の探求」というテーマが描かれている[14]。
キャラクター造形メキシコ国立映画センターで開催された「メキシコの木でできたピノッキオ展」のオブジェ
ピノッキオはゼペットの息子カルロの墓の側の木から生まれた人形で、「もう一度父親になりたい」と願うゼペットの求めに応じる形で誕生する。しかし、大人しくて行儀の良かったカルロと異なり、ピノッキオは乱暴者で自由奔放な性格をしている。セバスチャン・J・クリケットは博識な性格でピノッキオの良心になろうと奮闘するが、そのためにピノッキオを迷わせる存在として描かれる。デル・トロは、彼のキャラクターについて「クリケットは何度も踏み潰されてしまうが、それは彼自身が愛と謙虚さを見つけるための旅となっているのです」と語っている[16]。また、デル・トロはピノッキオ、クリケット、妖精以外の原作にあるファンタジー要素を取り除き、「極力、現実世界に近付けようとした」とも語っており、原作のキツネとマンジャフォーコの役割を集約したキャラクターとしてヴォルペ伯爵を作り出した[16]。ヴォルペ伯爵は宮廷で権勢を振るっていた大貴族だが、落ちぶれて人形劇一座の座長をしており、ピノッキオを利用して失った地位を回復しようと企むキャラクターになっている。デル・トロはヴォルペ伯爵を物語の中で最も悪魔に近いキャラクターに位置付けており、原作の漫画的・幻想的なキャラクターからの脱却を目指し、キツネとネコよりも大仰でコミカルな悪役として描写されている[23]。当初は原作通りマンジャフォーコを登場させる予定だったが、デル・トロが「陳腐過ぎる」としてキャラクターを気に入らなかったため登場が見送られた。しかし、マンジャフォーコのデザインはすでに完成していたため、ヴォルペ伯爵の人形劇一座の背景キャラクターとして再利用され[24][23]、ネコは猿のスパッツァトゥーラに置き換えられている[25]。