2013年の合計特殊出生率は1.30人と、少子高齢化が進む[22]。2003年の出生率は1,000人に対して9.5人(1981年は1,000人に対して14.5人)であった。同時に死亡率は1981年の1,000人に対して8.9%であったのが、2003年には1,000人に対して9.6%と増加している。2001年の時点で65歳以上の高齢者は16.71%、15歳から64歳までが68.12%、14歳以下が15.18%であった[21]。
ギリシャ社会は時を経るとともに急激に変化した。婚姻率は1981年の1,000人に対して71%から2002年まで低下し続けていたが、2003年にはわずかに増加して61%となったものの、2004年、再び低下して51%となった[21]。一方で離婚率は増加しており、1991年の時点で1,000組に対して191.12件であったが、2004年には1,000組に対して239.5組となっている[21]。ギリシャ人のほぼ3分の2が市街地に居住しており、2001年のギリシャ最大自治体はアテネ、テッサロニキ、ピレウス、パトラ、イラクリオン、ラリサ、ヴォロス[23]であった。 ギリシャの民族構成
民族
ギリシャ人 98%
トルコ人 1%
その他 1%
言語詳細は「ギリシャの言語(英語版)」および「ギリシア語」を参照現代ギリシア語方言の分布
主たる言語はギリシア語であり、北部と南部とで方言がある。北方国境ではスラヴ諸語話者(英語版)もいる。 ギリシャ人は長男に父方の祖父の名をつけるなどの習慣があるが、姓が普及したのは、有力貴族が成長してきた9世紀の東ローマ帝国時代以降のことである。婚姻の際に姓が変わることはない(夫婦別姓)が、社会的な関係においては、配偶者が同意した場合のみ配偶者の姓を用いる、あるいはその姓に自己の姓を付加して使用することが認められている。
人名・婚姻
宗教詳細は「ギリシャの宗教(英語版
ギリシャの宗教(2001年)[24][25]
ギリシャ正教会 98%
イスラム教 1.3%
その他 0.7%
主たる宗教は、キリスト教正教会に属するアテネ大主教の管掌下にあるギリシャ正教会である。ただし、クレタ島とアトス山だけはコンスタンディヌーポリ総主教庁の管轄下にある。少数派としてはイスラム教やカトリックのほか、ネオペイガニズム運動のひとつとして古代ギリシア神話の神々を信仰する「ギリシア多神教復興運動(英語版)」が存在する。
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教育詳細は「ギリシャの教育(英語版)」を参照
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「古代ギリシャの教育(英語版)」も参照
保健詳細は「ギリシャの保健(英語版)」を参照
平均寿命は81.4歳[26]。かつてはユニバーサルヘルスケアが実現されていたが、国家経済破綻のため2013年には加入率79.9%に転落し、長期失業者や保険に加入しない自営業者が発生した[26]。
医療詳細は「ギリシャの医療(英語版)」を参照
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社会
国外への移民ギリシャ人移住者数上位50箇国
19世紀末から20世紀を通じて、何百万人ものギリシャ人がアメリカ合衆国、オーストラリア、カナダ、イギリス、ドイツなどへ移住し、各地でギリシャ移民らは成功を収めた。特にオーストラリアのメルボルンには、ギリシャ人移民が多く、その数はギリシャ国内のアテネ(75万人)、テッサロニキ(32万人)に次ぐ[27]。
この海外移住傾向は1980年代以降、ギリシャ経済の重要な改善のあと収まりつつあったが、2010年からのギリシャの経済危機により、再び海外への移民が増えている。 ギリシャは欧州でかつて「比較的治安の良好な国」と評されていたが、経済状況の悪化や失業率の増加などから労働組合などによるデモならびストライキが多発している他、不法移民などによる犯罪も発生しており、非常に不安定な状況に陥っている。
治安