ギュスターヴ・ドレ
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クリミア戦争の際には著者兼イラストレーターとして、フランスとイギリスが戦端を開いたロシアを攻撃・風刺した『神聖ロシア帝国の歴史(フランス語版)』を著した。この本はバンド・デシネの原型となる画集で、テクストとイラストレーションの間のずれを巧みに利用し、見事な視覚的機転を展開した。

ドレは社交界でも活躍し、大きな絵画を制作し絵画活動を拡大させた。1861-1868年の間に製作したダンテの『神曲』を題材とした連作の中でも『地獄第9圏のダンテとウェルギリウス(フランス語版)(ウェルギリウス)』(1861年、311x428cm、ブルー美術館蔵)や、『謎』(オルセー美術館蔵)、幅6メートル・高さ9メートルの『法廷から退場するキリスト(フランス語版)』(1867-1872年)などがある。キリストの絵は1998年から2003年にかけてストラスブール現代美術館(英語版)で修復され、ドレのための特別室に展示されている。『法廷から退場するキリスト』(1872)、ストラスブール現代美術館蔵

同時期に、(幻想画や攻撃的な肖像画を含む)ありとあらゆるジャンルの素描やイラストレーションを量産し、ドレの名声は全ヨーロッパ規模に拡大した。1865年に出版された彼の挿絵入り聖書は大好評で、1869年にロンドンに開いたドレ画廊は大成功を収めた。同年から4年に渡って、記者とともにロンドン市内のスラム街やアヘン窟などにも出向いて180点の版画を描いた『London: A Pilgrimage(英語版)』を出版した[1]ロンドンの貧民街セブンダイアルズ。1872年。大英図書館ジョルジュ・ラフォス(フランス語版)作品『トロンビノスコープ(フランス語版)』(似顔絵つき名士録)に載ったギュスターヴ・ドレの似顔絵(1875年)

数多のイラストレーターたちに強い影響を与えることになる1万以上もの作品を残し、1883年にパリの聖ドミニク通り(英語版)にて、51歳で心筋梗塞で没し、ペール・ラシェーズ墓地に埋葬された。

1931年に、アンリ・ルブランがイラストレーション9850枚、音楽作品68曲、ポスター5枚、オリジナルのリトグラフ51枚、淡彩画54枚、素描526枚、水彩画283枚、油絵133枚、彫刻45体の計11015作品からなるドレの解題付き類別目録を出版した。ブール=カン=ブレスにあるブルー美術館(英語版)はドレの油絵、素描、彫刻など136作品を所蔵している。日本の国立西洋美術館収蔵『ラ・シエスタ スペインの思い出』は国立西洋美術館に常設展示されている。国立西洋美術館所蔵『ラ・シエスタ スペインの思い出』

歌手ジュリアン・ドレの曾曾大伯父に当たる。
イラストレーション・ギャラリー
マ・メール・ロワ

シャルル・ペローの寓話集『マ・メール・ロワ』(1697)より。1867年出版。

赤ずきん

と赤ずきん

長靴をはいた猫

長靴をはいた猫

魔法のを渡す青ひげ

親指太郎(親指小僧)(英語版)

オーガ

七里靴

妖精の園

シンデレラ

眠れる森の美女

ロバの皮

その他

怒れるオルランド

『天使と格闘するヤコブ』 - 1855

ドン・キホーテ

「光あれ」(聖書


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