ギニアビサウ
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翌3月2日、反乱軍兵士が大統領自宅を襲撃し、ヴィエイラ大統領を暗殺した[15]。政府軍は、国営ラジオで反乱軍が「孤立した勢力」であり、鎮圧寸前であると発表し、また軍が憲法を守ることも保障した。ゴメス首相とルイス・サンカ国家安全保障顧問は、大統領が死亡したことを確認したが、詳細は発表しなかった。首都には軍部隊が配置され、民間ラジオ局を閉鎖した。大きな混乱はなかったとされたが、一方でBBCが軍本部の建物が爆発で一部破壊されたと報じた。大統領代行には議会のライムンド・ペレイラ議長が就任している。2009年の大統領選では、マラム・バカイ・サニャ元国民議会議長が大統領に選出された[16]

2010年4月1日にはゴメス首相が一時兵士らに拘束される事態となったが、首相は数時間後に解放された[17]。2012年にはサニャ大統領が在職中に死去し、後任大統領の選挙中の2012年4月12日、クーデター(en:2012 Guinea-Bissau coup d'etat)が起きてライムンド・ペレイラ暫定大統領とカルロス・ゴメス・ジュニオル候補が拘束された[18]。5月にはマヌエル・セリフォ・ナマジョが暫定大統領に就任し、2014年には延期されていた大統領選挙が実施されてジョゼ・マリオ・ヴァスが大統領に選出された[19]。2019年12月には大統領選挙が行われ、決選投票で野党・マデムG15候補のウマロ・シソコ・エムバロが与党・PAIGC候補のドミンゴス・シモンエス・ペレイラを破って当選したが[20]、与党側はこれを不服とし最高裁に提訴を行った。しかし2020年2月27日にエムバロは就任式を行い、大統領に就任した[21]
政治詳細は「ギニアビサウの政治(ポルトガル語版、英語版)」を参照.mw-parser-output .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .trow>.thumbcaption{text-align:center}}首都ビサウにある大統領官邸(英語版)
2013年に中国の投資により資金提供を受ける形で改装され、再び運営されている国家人民会議議事堂

ギニアビサウは共和制をとる立憲国家である。現行のギニアビサウ憲法(ポルトガル語版)は1984年5月16日制定され、その後数回の改正を経たもの。
行政

国家元首である大統領は国民の直接選挙により選出され、任期は5年。再選制限は無い。行政府の長たる首相は、大統領が国家人民会議の多数派の指導者より任命する。
立法

議会は一院制国家人民議会。定数100議席。議員は国民の直接選挙で選出され、任期は4年である[22]
政党

主要政党にはかつて一党支配を敷き、民主化後も1999年選挙を除いて議会第1党となっているギニア・カーボベルデ独立アフリカ党 (PAIGC) のほか、2000年から2003年のヤラ政権において与党だった社会革新党 (PRS)がある。2019年の議会選挙においては新党・マデムG15が躍進してPRSに代わって第2党となり、2020年の大統領選挙においては同党のウマロ・シソコ・エムバロ候補が勝利して大統領に就任した。「ギニアビサウの政党」を参照
司法

最高司法機関は最高裁判所である。

この節の加筆が望まれています。

国際関係詳細は「ギニアビサウの国際関係(英語版)」を参照

ポルトガル語圏、いわゆるルゾフォニアに属しており、ポルトガル語諸国共同体ポルトガル語公用語アフリカ諸国に加盟している。

沖合に浮かぶカーボベルデとは元は同じ植民地であったことから関係が深く、独立戦争を戦った組織の「ギニア・カーボベルデ独立アフリカ党」(PAIGC)という党名にも反映されているように、独立闘争は両植民地を対象としたものだった。1974年に両国はそれぞれ単独で独立したものの、両国の支配政党はどちらもPAIGCであり、統一国家の建設を目指していた[23]。しかし1980年にギニアビサウでビサウ出身のヴィエイラによるクーデターが起きてカーボベルデ出身のルイス・カブラル大統領が失脚すると両国関係は断絶し、1981年にはカーボベルデ側のPAIGCは党名をカーボベルデ独立アフリカ党(PAICV)に改名して統一を断念した[24]。これに対しギニアビサウ側は党名の維持とカーボベルデ側の除名をもって応じ[25]、1982年には両国関係が修復された[26]ものの、統一の動きは下火となった。
日本との関係詳細は「日本とギニアビサウの関係」を参照

日本とは1974年8月1日に外交関係を樹立している。ギニアビサウに日本の在外公館は設置されておらず、在ギニアビサウ大使館は在セネガル大使館によって兼轄されている[27]

在留日本人数 - 0人(2022年2月現在)[28]

在日ギニアビサウ人数 - 10人(2020年12月末)[28]

国家安全保障詳細は「ギニアビサウ軍」を参照

同国の軍隊は陸軍海軍空軍、準軍事部隊で構成されている。

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地理ギニアビサウの地図典型的な風景詳細は「ギニアビサウの地理(ポルトガル語版、英語版)」を参照

国土全体が低平な平野であり、高いは無く、国内の最高地点の標高は310mである。熱帯地域の一ヶ所となっている。

大陸部はカシェウ川、マンソア川、ジェバ川、コルバル川といった河川が流れ、河口部はいずれも深い入り江となっている。沖合にはボラマ島ブバケ島ウノ島カラヴェラ島といったビジャゴ諸島の88の島々が点在する[29]

沿岸部は大陸部・島嶼部ともに潮位によって水没する沼沢地が多く、マングローブ林が広がっている。内陸部は熱帯雨林が広がり、内陸北部はサバンナとなっている[30]

国土全体がサバナ気候(Aw)に属し、雨季とサハラ砂漠からのハルマッタンによる乾燥した乾季がある。

ビサウの平均気温は雨期が27℃程度であり、乾期は1℃ほど低くなる[31]

森林伐採土壌侵食、過剰放牧(英語版)、乱獲などの環境問題を抱えている[32]。同国は2019年の森林景観保全指数(英語版)平均値が5.7/10であり、172ヶ国中97位にランクされている[33]。 「ギニアビサウの保護地域の一覧(英語版)」および「ギニアビサウの野生生物(英語版)」も参照
地方行政区分ギニアビサウの行政区画詳細は「ギニアビサウの行政区画」を参照

ギニアビサウの地方行政区分は8州 (regioe) と1自治区 (sector autonomo) からなる。

オイオ州 (Oio)

カシェウ州 (Cacheu)


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