「キンモクセイ」というバンド名の由来は、ボーカルの伊藤が幼い頃から家の前にあったキンモクセイの香りが好きだったから。その香りを嗅ぐと昔の記憶が蘇って懐かしい気分になり、自分たちが作っている音楽もそういう懐かしい感じということで命名した[4]。
1970年代の歌謡曲やニューミュージックなどの音楽をこよなく愛し、そこに色々な要素を取り入れて、懐かしいが新しい”キンモクサウンド”を作り出している[2][4][8]。歌詞については情景描写がテーマで、「一つでも多くの情景を誰かと共感してみたい」という気持ちが、言葉数の多さや細かいディテールの多さに表れている[2]。
5人編成時のメンバーの内、伊藤、後藤、白井の3人は神奈川県相模原市出身で、伊藤と白井は神奈川県立相武台高等学校、後藤は神奈川県立新磯高等学校と3人とも市内の高校を卒業している[注 4]。また佐々木は相模原市のすぐ隣の東京都町田市出身で張替も相模原に住んでいた時期があり、メンバー曰く「ほぼ相模原」[5][9]。
来歴
1998年5月、神奈川県相模原で前身バンド「アジアンオールスターズ」を結成[5][6][10]。
1999年11月よりバンド名を「キンモクセイ」へと改め、活動をスタート[8]。精力的にライブを行う[6]。
2000年、東京・下北沢のライブハウスに出演した際にレコード会社のスタッフと出会う[2]。
2001年1月に自主制作CD「キンモクセイの約18分」をリリースした後、全国14ヵ所を回るライブハウスツアーを行う[2]。同年10月、シングル「僕の行方」でメジャーデビュー[10]。
2002年1月、2ndシングル「二人のアカボシ」でオリコンランキング10位を記録、全国のラジオ局31局ものパワープレイを獲得する[2][10]。この曲のスマッシュヒットにより、同年の『第53回NHK紅白歌合戦』に出場[6]。
2002年5月9日、シングル「七色の風」で14位獲得[10]。同年年7月3日、アルバム『音楽は素晴らしいものだ』で10位獲得[10]。
2003年9月17日、シングル「人とコウモリ/日曜日の夜」をリリース[10]。同年10月22日、アルバム『風の子でいたいね』をリリース[10]。
2004年8月25日、シングル「メロディ」をリリース[10]。同年10月2日、神奈川県立相模原球場で地元凱旋ライブを行う。同年11月からオンエアの「ダイハツ・ミラジーノ」のCMに、吉田美奈子のカバー「夢で逢えたら」が起用される。同年12月1日にシングル「むすんでひらいて」を、12月22日にアルバム『NICE BEAT』をリリース[10]。
2006年、毎日放送の全国高校ラグビー大会のテーマ曲として松任谷由実の「ノーサイド」のカヴァーを手がけ、2007年のカヴァーアルバム「さくら」に収録された。
2007年3月、「さくら」ソングばかりを集めたカバーアルバム『さくら』をリリース[6]。同年4月3日に上野公園でアルバム発売を記念したさくらづくしのフリーライヴを行う[注 5]。
2008年1月、全国ツアー「LIVE TOUR 2008『ベスト・コンディション』」を最後に活動を休止することを発表[注 6][11]。
2011年3月25日にデジタルデータ作品配信サイト「nau」から配信された東日本大震災被災地支援コンピレーション・アルバム『HOPE nau!』』収録の新曲「アシタ」のレコーディングを行うために3年ぶりにメンバーが集結[注 7][13]。
2016年、白井を除く4人が4月29日の音楽イベント「佐々木良と張替智広のGo!Do!40!(合同ふぉーてぃ)」にて共演し、5月2日の熊本地震支援イベント「音楽で九州を応援するPray for 九州 Machi Rock Night」では、前述の4人が「キンモクセイ」の名義を使用して単発で出演している。
2018年10月21日に地元相模原で開催された「はやぶさの故郷 潤水都市さがみはらフェスタ2018」に活動休止時のメンバー5人全員が「キンモクセイ」として出演し、2008年2月の活動休止以来10年8カ月ぶりとなるライブを行った[注 8][7][14]。
2019年10月15日、相模原市民会館にて11年ぶりのワンマンライブ「ちゃんとしたワンマン2019」を開催。本格的に活動を再開した。
2019年12月25日、オリジナルアルバムとしては約14年ぶりとなる5thアルバム『ジャパニーズポップス』、2007年に発売されたベストアルバムの収録曲を一部変更し、未収録曲を追加収録した『ベスト・コンディション+レアトラックス』を同時リリースした[15]。