キンモクセイ_(バンド)
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活動期間

1998年 - 2008年

2011年

2018年 -

レーベル

BMGファンハウス(2001年 - 2008年)

アリオラジャパン(2019年)

事務所田辺音楽出版(2001年 - 2008年)
公式サイトキンモクセイ 。ソニーミュージック オフィシャルサイト

メンバー

伊藤俊吾ボーカルギターキーボード

佐々木良(ギター・コーラスシンセサイザー

後藤秀人(ギター)

張替智広ドラムス・ボーカル)


旧メンバー

佐藤大(ドラムス)

杉浦愛子(コーラス)

白井雄介(ベース

キンモクセイは、日本バンド[注 1]。略称は「キンモク」。
概要

1998年に結成された神奈川県相模原市出身の5人組バンド[3][注 2][5]。幾多のメンバーチェンジを経て、2001年10月にシングル「僕の行方」でデビュー[6]。2002年にリリースした「二人のアカボシ」のヒットでNHK『紅白歌合戦』への出場経験もあるが、2008年に一旦活動を休止[5][7]。以後は個人で音楽活動を続け、5人全員が集まったのは2011年東日本大震災の被災地支援アルバムの新曲を録音した1日だけだった[5]。そして2018年9月中旬、本格的に活動を再開することを発表した[注 3][5]。2023年5月10日、長らくベースを担当していた白井が脱退を公表。キンモクセイのメンバー脱退は約23年ぶりとなった。キンモクセイは今後メンバー4人で活動を継続するとしている。

「キンモクセイ」というバンド名の由来は、ボーカルの伊藤が幼い頃から家の前にあったキンモクセイの香りが好きだったから。その香りを嗅ぐと昔の記憶が蘇って懐かしい気分になり、自分たちが作っている音楽もそういう懐かしい感じということで命名した[4]

1970年代の歌謡曲ニューミュージックなどの音楽をこよなく愛し、そこに色々な要素を取り入れて、懐かしいが新しい”キンモクサウンド”を作り出している[2][4][8]。歌詞については情景描写がテーマで、「一つでも多くの情景を誰かと共感してみたい」という気持ちが、言葉数の多さや細かいディテールの多さに表れている[2]

5人編成時のメンバーの内、伊藤、後藤、白井の3人は神奈川県相模原市出身で、伊藤と白井は神奈川県立相武台高等学校、後藤は神奈川県立新磯高等学校と3人とも市内の高校を卒業している[注 4]。また佐々木は相模原市のすぐ隣の東京都町田市出身で張替も相模原に住んでいた時期があり、メンバー曰く「ほぼ相模原」[5][9]
来歴

1998年5月、神奈川県相模原で前身バンド「アジアンオールスターズ」を結成[5][6][10]

1999年11月よりバンド名を「キンモクセイ」へと改め、活動をスタート[8]。精力的にライブを行う[6]

2000年、東京・下北沢のライブハウスに出演した際にレコード会社のスタッフと出会う[2]

2001年1月に自主制作CD「キンモクセイの約18分」をリリースした後、全国14ヵ所を回るライブハウスツアーを行う[2]。同年10月、シングル僕の行方」でメジャーデビュー[10]

2002年1月、2ndシングル「二人のアカボシ」でオリコンランキング10位を記録、全国のラジオ局31局ものパワープレイを獲得する[2][10]。この曲のスマッシュヒットにより、同年の『第53回NHK紅白歌合戦』に出場[6]

2002年5月9日、シングル「七色の風」で14位獲得[10]。同年年7月3日、アルバム『音楽は素晴らしいものだ』で10位獲得[10]

2003年9月17日、シングル「人とコウモリ/日曜日の夜」をリリース[10]。同年10月22日、アルバム『風の子でいたいね』をリリース[10]

2004年8月25日、シングル「メロディ」をリリース[10]


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