キング・コング_(2005年の映画)
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この時点でWETAデジタルとWETAワークショップは、6か月間かけてデザインのプリプロダクションを進めている状態だった[11]。製作凍結後、ジャクソンは『ロード・オブ・ザ・リングシリーズ』の製作に取り掛かった[8]
企画の再始動キングコング

2001年に『ロード・オブ・ザ・リング』、2002年に『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』が興行面・批評面で大きな成功を収めたことを受け[13]、2003年初頭にユニバーサルは『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』のポストプロダクションを進めていたジャクソンに対し、『キング・コング』の製作再開を持ち掛けた[14]。同年3月にジャクソンとウォルシュは新たに『ロード・オブ・ザ・リングシリーズ』に参加していたフィリッパ・ボウエンを迎えて1996年版脚本の修正作業を始め、ユニバーサルは『キング・コング』の2005年12月公開を決定した[13]。ジャクソンはニュー・ライン・シネマにユニバーサルとの共同出資を持ち掛けたが、拒否されている[14]。当初の製作費は1億5000万ドルを予定していたが[15]、後に1億7500万ドルに増額された[16]。ジャクソンはユニバーサルとの契約により監督・製作・共同脚本家として2000万ドルの給与と興行収入の20%の報酬を受け取ることになり、この報酬はウォルシュ(製作兼務)とボウエンに分配された[17]。ただし、製作費が1億7500万ドルを超えた場合、差額分はジャクソンが負担することになった[18]

『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』完成後、WETAデジタルとWETAワークショップはリチャード・テイラー、クリスチャン・リヴァース、ジョー・レッテリの主導で『キング・コング』のプリプロダクションを開始した[11]。この他、主要スタッフには『ロード・オブ・ザ・リングシリーズ』に参加していたアンドリュー・レスニー(撮影監督)、グラント・メイジャー(プロダクション・デザイナー)、サイモン・ブライト(英語版)(美術監督)、ダン・ヘナ(美術監督)、アラン・リー(英語版)(コンセプト・デザイナー)、ジェイミー・セルカーク(編集技師)が起用されている[9]。ジャクソン、ウォルシュ、ボウエンは2003年10月下旬に新たな脚本の執筆を始めた[13]。ジャクソンは1996年版脚本に強い不満を抱いており[14]、ボウエンは「あれは実際のところ、フランとピーターが大急ぎで紙に書き留めたものです」「あれは物語が持つ複数の可能性の一つでした」と説明している[11]。ジャクソンたちは1996年版ではなく、1933年のオリジナル版をベースに物語を構築することに決め[11]、ジェームズ・アシュモア・クリールマン(英語版)のオリジナル脚本で削除された部分や省略された部分を補完する方向で脚本執筆が進められた[9]。1933年版のコングが追いかけてきた人間たちを丸太から谷底に振り落とすシーンでは、当初メリアン・C・クーパーアーネスト・B・シュードサックは崖の中から巨大なクモが現れて人間たちを食い殺すシーンを描くつもりでいたが、完成版ではカットされていた。このシーンは『フェイマス・モンスターズ・オブ・フィルムランド』に掲載されたスチール写真でしか知られていなかったが、ジャクソンはこのシーンを取り入れて詳細に描写している[11]。また、デロス・W・ラヴレス(英語版)が1931年に執筆した小説版『キング・コング』からもインスピレーションを得ており[10]、小説版に登場した料理人ランピーを映画にも登場させている[14]。さらに、アンとコングの関係に説得力を持たせるため、数時間かけてゴリラの映像を研究している[19]ヴォードヴィルの演者ジューン・ハヴォック(英語版)が執筆した回顧録『Early Havoc』の使用契約を結び[14]、ウォルシュとボウエンがアンのキャラクター設計のために役立てた[20]。カール・デナムはオーソン・ウェルズをイメージしてキャラクター設計されている[14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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