同時期にジャクソンはハーヴェイ・ワインスタインのミラマックスと共に『ホビットの冒険』『指輪物語』の映画化権取得に動いており、一方で20世紀フォックスはジャクソンに『猿の惑星』のリメイク版の監督就任を打診していた。ジャクソンは20世紀フォックスからの打診を辞退し、また『指輪物語』の映画化権取得交渉が想定以上に時間がかかっていたことから『キング・コング』の製作に取り掛かった。しかし、ジャクソンの態度にワインスタインが激怒したため、ジャクソンは『キング・コング』の製作に関してユニバーサル、ミラマックス、ウィングナット・フィルムズが共同出資することを提案した。この結果、『キング・コング』のアメリカ配給はユニバーサル、海外配給はミラマックスが受け持つことになり、ジャクソンは最終編集権(英語版)と総収益の一部[10]、アーティスティック・コントロール(英語版)の権利を所持し、ユニバーサルは撮影と視覚効果の製作をニュージーランドで行うことを許可した[9]。1996年4月に契約が成立し、ジャクソンは妻フラン・ウォルシュと共同で脚本の執筆を始めた[10]。初期案では、アン・ダロウは「スマトラ島の古代遺跡を調査する英国人考古学者リンウッド・ダロウ卿の娘」と設定されており、映画の撮影を巡りカール・デナム(英語版)と対立し、秘匿されていたコング像や髑髏島の地図を発見することになっていた。また、ジャック・ドリスコルは一等航海士で、「第一次世界大戦で戦死した親友の喪失感に苦しむ元戦闘機パイロット」と設定されており、撮影技師のハーブは初期案から最終稿まで設定が変更されずに残った唯一のキャラクターとなった。また、コングと3頭のバスタトサウルス・レックスの戦いも初期案から存在していたが、初期案ではアンはバスタトサウルス・レックスに噛まれ、コングに救出された後に熱病にかかる予定だった[9]。
ユニバーサルは脚本を承認し、ロバート・ゼメキスを製作総指揮に迎えてプリプロダクションが始まった。撮影は1997年中に開始され、1998年夏に公開が予定されていた。WETAデジタルとWETAワークショップ(英語版)はリチャード・テイラー、クリスチャン・リヴァースの主導で初期の視覚効果テストに取り掛かり[9]、1933年のニューヨークのCGIでの製作作業を進めた。ジャクソンとウォルシュは第二稿の執筆を進め、同時に撮影セットの準備やスマトラ島、ニュージーランドでのロケハンを開始した[10]。1996年末、ジャクソンは『タイタニック』の撮影地メキシコに向かいケイト・ウィンスレットとアン役の起用について交渉した。また、同時期にミニー・ドライヴァーとも出演交渉を行っていたという[8]。ジャック役とデナム役の候補にはジョージ・クルーニーとロバート・デ・ニーロが検討されていた[11]。1997年1月、ユニバーサルは『GODZILLA』『マイティ・ジョー』『PLANET OF THE APES/猿の惑星』などの怪獣映画、猿を題材にした映画の公開が控えていたことに懸念を示し[13]、『キング・コング』の製作が一時停止した。同年2月にユニバーサルは『キング・コング』の製作凍結を発表した[8]。この時点でWETAデジタルとWETAワークショップは、6か月間かけてデザインのプリプロダクションを進めている状態だった[11]。製作凍結後、ジャクソンは『ロード・オブ・ザ・リングシリーズ』の製作に取り掛かった[8]。
企画の再始動キングコング
2001年に『ロード・オブ・ザ・リング』、2002年に『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』が興行面・批評面で大きな成功を収めたことを受け[13]、2003年初頭にユニバーサルは『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』のポストプロダクションを進めていたジャクソンに対し、『キング・コング』の製作再開を持ち掛けた[14]。