キング・コング_(1933年の映画)
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1991年にはアメリカ議会図書館によって「文化的・歴史的・芸術的にきわめて高い価値を持つ」と判断されてアメリカ国立フィルム登録簿に登録されている[5][6]。『キング・コング』のヒットを受けて続編『コングの復讐』が製作され、1976年2005年にはリメイク版が製作された。
ストーリー

映画監督のカール・デナムは、最新作の撮影のため顔見知りのエングルホーン船長の船に乗り込むが、撮影内容も目的地も不明のため女優を雇うことができずにいた。デナムはニューヨークの街中に女優を探しに向かい、仕事を求めていたアン・ダロウと出会い、主演女優に抜擢する。アンを迎えたデナムはニューヨークを出港し、地図に載っていない孤島「謎の島」に向かう。その航海の中で、アンは船員のジャック・ドリスコルと親密な関係になる。

謎の島に到着したデナムたちは島に上陸し、そこで原住民が島に住むコングに捧げる生贄の儀式を行っている姿を目撃する。原住民はアンを見付けると、「彼女をコングの生贄として譲って欲しい」と要求するが、ジャックは要求を拒否し、デナムたちは船に戻る。その夜、原住民たちは船に忍び込みアンを連れ去る。アンがいないことに気付いたジャックとデナムは船員たちを連れて島に戻り、アンを取り戻そうとする。

生贄にされたアンはコングに捕まり森の中に消え、ジャックたちはコングの足跡を頼りに彼女を探す。途中、ジャックたちは太古の恐竜に襲われ、さらにコングにも襲われ、捜索隊はジャックとデナムを残して全滅してしまう。ジャックはデナムに原住民の村へ戻るように伝え、一人でコングの後を追う。島の頂上に着いたジャックは、コングが恐竜との格闘に気を向けている隙にアンを助け出し、原住民の村に戻る。ジャックとエングルホーンは島から脱出しようとするが、デナムはコングをニューヨークに連れ帰り興行にかけようと計画する。そこに怒り狂ったコングが現れ、原住民の村を破壊する。デナムは船に積んでいた爆弾を使いコングを捕まえ、ニューヨークに連れ帰ることに成功する。

コングの興行初日、劇場は満席となりデナム、ジャック、アンの三人は記者に囲まれ上機嫌になっていた。しかし、記者たちがフラッシュをたいたため、興奮したコングは鎖を引き千切り暴れ出す。ジャックとアンはホテルに逃げ込むが、コングに見付かりアンが連れ去られてしまう。コングはアンを連れてエンパイア・ステート・ビルに登り始め、ジャックとデナムは警察に駆け込み、飛行機を飛ばしてコングを攻撃するように提案する。警察は飛行機を飛ばしてコングを銃撃し、コングはビルから墜落し息絶える。ビルの天辺に取り残されたアンはジャックに助け出され、コングの死体を見たデナムは側にいた警官に「彼女の美貌が野獣を仕留めた」と呟く。
キャスト『キング・コング』のポスター

役名俳優日本語吹き替え
NHK[7]フジテレビTBS
アン・ダロウフェイ・レイ新道乃里子公卿圭子高島雅羅
カール・デナム(英語版)ロバート・アームストロング川久保潔小林修
ジャック・ドリスコル(英語版)ブルース・キャボット川合伸旺市川治津嘉山正種
エングルホーン船長フランク・ライヒャー(英語版)梶哲也北村弘一宮内幸平
ウエストンサム・ハーディー(英語版)加藤精三中川謙二
先住民のチーフノーブル・ジョンソン(英語版)
チャーリーヴィクター・ウォン(英語版)


NHK版初回放映:1960年12月25日『劇映画』

フジテレビ版初回放映:1967年8月7日

TBS版初回放映:1981年11月8日『日曜ヒットスクリーン

※日本語吹き替え版はいずれもDVDには未収録だったが、TBS版のみ2021年8月27日に有限会社フォワードから発売された「キング・コング 日本語吹替収録版」にて初収録となった。
製作
時代背景『インガギ』のポスター

『キング・コング』以前にも「ジャングル映画」の伝統が存在し、ドラマであれドキュメンタリーであれ、こうした映画では『Stark Mad』のように「研究のためにジャングルに向かった研究者・探検隊が森の中で怪物のような異形な生物を発見する」というパターンが確立していた。ジャングル映画では科学知識は常に覆され、それがジャンルの活力や魅力、耐久性に繋がっていた[8]

20世紀初頭に霊長類を飼育している動物園は少なかったため、「映画で霊長類を見たい」という人々が多数存在した。この要望に応える形で、リュミエール兄弟は西洋人が足を踏み入れたことのない場所に映画ドキュメンタリー班を派遣し、ジョルジュ・メリエストリック撮影を駆使して後年の『キング・コング』のような幻想的な映画を製作した。こうした中で1913年に『Beasts in the Jungle』がアメリカで公開され、同作のヒットにより『ターザン(英語版)』などの類似するジャングル映画が多数製作された[8]。その中でも1925年に製作された『ロスト・ワールド』は、後に『キング・コング』を手掛けるウィリス・オブライエンのチームによる特殊効果によって映画史に残る作品となった[9]。また、『キング・コング』の共同監督アーネスト・B・シュードサックは『チャング(英語版)』で猿を題材にした経験があり、『ランゴ(英語版)』ではジャングルを舞台に猿を題材にした物語を描いている。1930年にはコンゴ・ピクチャーズが「生きた女性がマンモス・ゴリラの犠牲になった姿を描く、議論の余地のない本物のセルロイド・ドキュメント」と称するモキュメンタリー映画『インガギ(英語版)』を製作した。同作は「黒人女性がゴリラと性行為した結果、極めて猿に近い子供を産む」という描写から、現代では人種差別的なエクスプロイテーション映画として認識されているが[8]、公開当時は400万ドルの興行収入を記録し、1930年代に最も大きな興行成績を収めたヒット作品の一つだった。『キング・コング』の共同監督メリアン・C・クーパーは『インガギ』を『キング・コング』製作に影響を与えた作品には挙げていないものの、RKOが『キング・コング』の製作を承認した背景には『インガギ』に代表されるような「ゴリラ+セクシーな女性=莫大な利益」という図式が存在したといわれている[10]
コンセプトメリアン・C・クーパー

クーパーがゴリラに魅せられたのは、少年時代にポール・デュ・シャイユの『赤道アフリカの探検と冒険』を読んだことに始まり、『四枚の羽根(英語版)』の撮影のためにアフリカのヒヒを研究したことがきっかけだった。彼はウィリアム・ダグラス・バーデン(英語版)の『The Dragon Lizards of Komodo』を読み、「アフリカのゴリラとコモドオオトカゲが戦う」というシナリオを執筆した。シナリオではメインキャラクターをコモドオオトカゲと戦うゴリラ一頭に絞り、「ロマンス要素を軽視している」という批判に応えるために女性を探検隊メンバーに加えた。舞台は離島に設定され、ゴリラはニューヨークで劇的な最期を迎えることになっていた[11]

クーパーはパラマウント・ピクチャーズに脚本を売り込んだが、同社は世界恐慌の時期にアフリカやコモド島へのロケーション撮影が必要となる企画は「予算が膨大になる」という理由で難色を示した。その後、彼はデヴィッド・O・セルズニックの招きでRKOのエグゼクティブ・アシスタントに就任し、同時に「好きな映画を作って良い」と確約された。クーパーはすぐに『猟奇島』の製作に取り掛かり、シュードサックを監督に起用した。主演にはロバート・アームストロングフェイ・レイを起用し、巨大なジャングルの撮影セットを作成した。同作の製作が軌道に乗ったころ、クーパーはオブライエンを招いて恐竜の住む島に漂着した人間の冒険を描く『Creation』の製作に取り掛かった[12]。彼はオブライエンのストップモーション・アニメーションには感銘を受けなかったが、コモドオオトカゲの代わりにオブライエンの恐竜アニメーションとスタジオにあるジャングルの撮影セットを利用することで、自分が理想とするゴリラを題材にした映画を低コストで製作できることに気が付いた。コングがエンパイア・ステート・ビルディングで最期を迎えるという構想は、このころに思い付いたといわれている。RKO幹部はクーパーの企画に慎重な姿勢を見せたが、彼はフェイ・レイ、ロバート・アームストロング、ブルース・キャボットの起用と、オブライエンの恐竜の模型を持参したプレゼンテーションを行い、RKOから製作の承認を取り付けた。


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