キングコング対ゴジラ
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

『キングコング対ゴジラ』は1962年昭和37年)8月11日に公開された日本映画[16][18]ゴジラシリーズの第3作[出典 6]キングコングの権利を所有していたRKO社とのライセンス提携作品である[34]ほか、東宝創立30周年記念作品でもある[出典 7]。日本での配給は東宝[8]、アメリカではユニバーサル・インターナショナルがそれぞれ担当した[14]総天然色東宝スコープ[出典 8]。音声は多元磁気立体音響[42]。略称は『キンゴジ』[43][44]

アメリカが生んだ怪獣キャラクターの元祖「キングコング」をゲストに迎え、ゴジラが7年ぶりに復活する[出典 9]。前作『ゴジラの逆襲』の続編であるが、前々作『ゴジラ』から描かれてきた反核のイメージはほぼ廃され、キングコングとゴジラの激闘をユーモアを交えて描いた、明快な娯楽映画の色彩が非常に強い作品となっている[出典 10]。封切興行時は『明治天皇と日露大戦争』に次いで邦画過去第2位(当時)、ゴジラシリーズ中では歴代1位となる1,120万人[45][48][注釈 3]を動員する大ヒットを記録した。その後、1964年7月に東宝の契約館で再上映され、1970年と1977年に東宝チャンピオンまつりで改訂短縮版が公開された[出典 12]
概要

1955年公開の『ゴジラの逆襲』以来、7年ぶりの新作であり、ゴジラ映画としては初めてのカラー・ワイド製作[出典 13]、さらにシネマスコープの類にあたる「TOHO SCOPE」(東宝スコープ)で上映された作品である。また、関沢新一のゴジラ映画デビュー作でもある[52]。本作品で初めて、ゴジラの体色や放射能火炎の青白い色が披露された。日米両雄の対決は、1958年に開催された力道山ルー・テーズにちなむものであり、本作品以降、怪獣映画は単独キャラクターものから対決路線へと転換していった[40]。内容や製作体制において、本作品が昭和ゴジラシリーズの礎を築いたとされる[52]

タイトルクレジットのバックの密林、キングコングがゴジラの口に木を突っ込むシーンや女性をさらって国会議事堂によじ登るシーン[注釈 4]など、本家『キング・コング』へのオマージュ的シーンが多い[出典 14][注釈 5]。公開時の宣伝スチールでは、本家のキングコングの写真がゴジラと合成されて多数使われていた[53]

主要襲撃地点は那須、東京、富士山麓、熱海。ミニチュアで作られた熱海城は、ゴジラとキングコングに破壊される。ファロ島では、本物と模型を使い分けた大ダコも登場する。

序盤のストーリーはテレビ業界が中心となっており、テレビの普及率が高まっていた公開当時の世相を反映している[出典 15]。監督の本多猪四郎は、当時のテレビ業界のイメージに対する皮肉を込めたといい[57]、公開当時よりもテレビが普及した後の時代の方が、本作品での視聴率競争への問題意識が理解できるかもしれないとの旨を、後年のインタビューにて述べている[56]

昭和ゴジラシリーズでは、公開前後に何らかの媒体で漫画化されるのが恒例であったが、本作品は漫画化されていない[58]。また、一時期キングコングの写真使用に制限があったため、関連書籍は少ない[59]
ストーリー映画のワンシーン

自社提供のテレビ番組「世界驚異シリーズ」の聴取率不振に頭を痛めるパシフィック製薬宣伝部長の多湖は、南太平洋メラネシアに属するソロモン諸島の南部に位置するファロ島に伝わる「巨大なる魔神」が目覚めたという噂を仕入れ、これを聴取率アップの決定打にしようと企む。提携先のテレビ局のカメラマン・社会教育部員の桜井と古江はたった2人の探検隊として仕立てられ、ファロ島へ派遣される。乗り気でない桜井に対し、時を同じくして妹のふみ子のフィアンセ・藤田は、新開発の特殊繊維のテストをするため、しばらく日本を離れるという。

一方、北極海では海水の温度上昇が始まり、調査のために原潜シーホーク号が国連派遣の科学者を乗せて現地へ向かう。海上には青白く発光する氷山があったが、実はそれこそが大阪市アンギラスとの戦いを終え、神子島で氷漬けにされたまま行方不明となっていたゴジラが眠る氷塊だった。まもなく氷が解けたことで目覚めたゴジラは原潜を沈め、某国基地を破壊して移動する。生物学の権威である重沢博士は、ゴジラは帰巣本能によって日本へ戻ると予測し、国内ではゴジラの話題で持ち切りになる。その影響で「巨大なる魔神」は話題にならず、多胡にとってゴジラはいら立ちの種でしかなかった。

ファロ島に上陸した桜井と古江は、島民たちの間に根強い魔神信仰があり、かつ「巨大なる魔神」が実在することを知る。その夜、海から現れた大ダコに島は大混乱となるが、そこへ山奥から巨大なる魔神=キングコングが出現し、大ダコを追い払う。キングコングは島民たちの用意したファロラクトンを飲み干し、彼らが踊りと共に捧げる祈りの歌を聴くと、たちまち深い眠りに就いてしまった。キングコングを日本へ連れて帰ろうという桜井の発案は、日本で一大旋風を巻き起こす。ホクホク顔の多湖だったが、部下の「キングコングとゴジラ、どちらが強いか?」という一言から次なる宣伝アイデアを思い付く。

そのころ、藤田を乗せた第二新盛丸が北海道沖でゴジラの潜航波によって遭難するという事件が発生し、慌てたふみ子はすぐさま現地へ向かう。だが、藤田は一足先に根室港で下船したため、命拾いしていた。ゴジラは松島湾から上陸して本土を南下する途上にあり、ふみ子を乗せた急行つがるも運転を中止してゴジラに破壊されてしまう。逃げ惑う人々の波から1人はぐれてしまったふみ子を救ったのは、事情を知って追ってきた藤田だった。

自衛隊によってゴジラ対策が急がれる一方、洋上ではキングコングが眠りから覚め、本土へ向けて北上を開始する。千葉東海岸から上陸したキングコングは、あたかも本能に導かれるように南下するゴジラを目指して進み出す。そして、ついに那須高原で初対決するが、緒戦はゴジラの放射能火炎に分があり、悠々と構えるゴジラを前に対抗できないキングコングは引き下がらざるを得なかった。

しかし、自衛隊による100万ボルト作戦が闘いの行方を想定外の方向へ導く。電流を苦手とするゴジラの首都圏侵攻は食い止められたものの、キングコングは高圧線に触れたことにより、ゴジラへの強力な対抗手段である帯電体質を得ていた。東京へ侵入したキングコングは、後楽園駅付近にて丸ノ内線電車をつかみ上げて1人の女性を攫うが、それは避難の最中にまたも藤田とはぐれてしまったふみ子だった。ふみ子に満悦のキングコングは警戒網が張られた都内を進行し、彼女を攫ったまま国会議事堂へよじ登る。うかつに攻撃できない自衛隊や、駆けつけた桜井と藤田をよそに、キングコングはふみ子を手にしたまま悠然と休む。全身にキングコングへの怒りを表して罵倒する藤田の姿に、桜井はファロ島で原住民の踊りとドラムの音、そしてファロラクトンでキングコングが眠り込んだことを思い出し、キングコングを麻酔弾で眠らせる作戦を思い立つ。作戦は成功してキングコングが再び眠りに就き、ふみ子は無事に救出される。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:485 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef