このように国教となったキリスト教は、キリスト教以外の宗教、およびキリスト教の異端教派の説を切り捨てることにより、キリスト教における一神教的世界観での正統派信仰を確立した。
中世
6世紀前半、ユスティニアヌス1世が『ローマ法大全』を編纂させた。
800年、カール大帝はローマ教皇のレオ3世から戴冠され、以てキリスト教の守護者を自認した。
927年、ブルガリア正教会に五大総主教庁以外で初めて総主教位が認められた。
1054年の東西教会の分裂により、カトリック教会と正教会の分断が決定的となった。
13世紀後半、トマス・アクィナスが『神学大全』を著述。
1415年、コンスタンツでコンスタンツ公会議がジョン・ウィクリフを異端宣告し、またヤン・フスが火刑に処された。
1448年、ロシア正教会がコンスタンティノープル総主教庁から事実上独立。
1453年、コンスタンティノープルの陥落により、東ローマ帝国が名実ともに消滅した。
近世
16世紀初頭、マルティン・ルターによるカトリック教会批判により、宗教改革の時代が始まった。
1519年、チューリッヒでフルドリッヒ・ツヴィングリが説教の活動を開始。
1521年、セブ島にフェルディナンド・マゼランが上陸し、ラジャ・フマボン(Rajah Humabon)が洗礼を受けた。
1534年、イングランド国教会がカトリック教会から分離。
1536年、バーゼルでジャン・カルヴァンが『キリスト教綱要』を出版。
1545年?1563年、トリエント公会議が開催され、対抗宗教改革が始まった。
1565年、ポーランドでポーランド兄弟団(Polish Brethren)が分派した。
1618年?1619年、ドルトレヒトで『建白書』(Five Articles of Remonstrance)などを議題にドルト会議が開催された。
1620年、メイフラワー号が現マサチューセッツ州プリマスに到着し、「ピルグリム・ファーザーズ」が入植を開始した。現在ではピューリタンによる信教の自由のためのプリマス植民地建設開始に位置付けられる。
1646年、ロンドンでウェストミンスター会議が『ウェストミンスター信仰告白』を作成。
1738年、ロンドンでジョン・ウェスレーが救いの確信を得た。
1741年、13植民地でジョナサン・エドワーズが『怒れる神の御手の中にある罪人』を出版。
1791年、アメリカ合衆国憲法修正第1条で信教の自由が明記された。
近代
1830年、ニューヨーク州でジョセフ・スミス・ジュニアが『モルモン書』を出版。