キリスト教
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カトリック教会では使徒たちに由来する聖伝と、神学・おきて・典礼・信心上の「諸伝承」が区別される[69]。諸伝承の中から異なる場所、異なる時代にも適応した表現を大伝承(聖伝)が受け取り、その大伝承に照合され、教会の教導権の指導のもとで、諸伝承は維持・修正・放棄される[69]。正教会では、「天上の永遠なる神の国に属する真の『聖伝』と、地上の人間的な暫定的な単なる伝統」が区別される[70]

一方、プロテスタントには、聖伝(伝統・伝承)を認める者と認めない者とがいる(「プロテスタント」は様々な教派の総称であり、内実は様々である)[注釈 26][注釈 27]。後者を表す宗教改革の原則の一つに「聖書のみ」がある[71][72]。ただし、聖書に優越する、あるいは並び立つ、ないし聖書を包含するといった意味での聖伝(伝統)を認めないプロテスタントであっても、「宗教改革の伝統」「改革派教会の伝統」といった用語がプロテスタントで使われる場合はある[73][74]

教えの源泉の、教派別対照表
西方教会東方教会
カトリック教会聖公会プロテスタント[注釈 28]正教会
聖書聖伝において解釈・理解されるべきである聖書・伝統・理性の三本柱を大切にする◆ 聖書のみ
◆ 聖書のほかに、伝統も認める
以上二類型の混在聖伝の中に聖書が含まれ、聖書は聖伝の中で第一の位置を占める[59][注釈 29]

ニカイア・コンスタンティノポリス信条にみる信仰内容
ニカイア・コンスタンティノポリス信条の位置付け

ニカイア・コンスタンティノポリス信条は、381年に、第1コンスタンティノポリス公会議で定められたキリスト教の信条(教えを要約した定型文[75])である[76]東方教会西方教会のいずれでも、最も広く普遍的に、共通して使われる信条である[75][77][78]。「ニカイア信条[75]」「ニケヤ信経[79]」「ニケア信条[80]」「信経[78]」とも呼ばれる。一方、西方教会では広く使われている使徒信条は、東方教会はその内容は否定しないものの、信条としては使っていない[78][81]。このため、東西教会の両方に言及する本記事では、ニカイア・コンスタンティノポリス信条を骨格としつつも、必要な箇所では使徒信条の内容も必要に応じて補足して、信仰内容を詳述する。

なお、西方教会の一角を占めるプロテスタント諸教派の間では信条の使用に差異があり、ルーテル教会[80]改革派教会[82]メソジスト[83]はニカイア・コンスタンティノポリス信条を使用するが、バプテスト教会では信条の使用自体に議論が発生する[注釈 30][84]。しかしバプテスト教会内にも、信条の強制は否定するものの、その使用の意義は認める見解も存在する[84]
ニカイア・コンスタンティノポリス信条の全文

ニカイア・コンスタンティノポリス信条教派別対照表
西方教会東方教会
カトリック教会
(日本カトリック司教協議会認可)聖公会
日本聖公会 祈祷書より)プロテスタントの一例[注釈 28]日本基督教団
改革長老教会協議会教会研究所訳)正教会
日本正教会 時課経145頁より[注釈 31]
わたしは[注釈 32]信じます。唯一の神、全能の父、天と地、見えるもの、見えないもの、すべてのものの造り主を。わたしは信じます。唯一の主イエス・キリストを。主は神のひとり子、すべてに先立って父より生まれ、神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、造られることなく生まれ、父と一体。すべては主によって造られました。主は、わたしたち人類のため、わたしたちの救いのために天からくだり、聖霊によって、おとめマリアよりからだを受け、人となられました。ポンティオ・ピラトのもとで、わたしたちのために十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書にあるとおり三日目に復活し、天に昇り、父の右の座に着いておられます。主は、生者(せいしゃ)と死者を裁くために栄光のうちに再び来られます。その国は終わることがありません。わたしは信じます。主であり、いのちの与え主である聖霊を。聖霊は、父と子から出て、父と子とともに礼拝され、栄光を受け、また預言者をとおして語られました。わたしは、聖なる、普遍の、使徒的、唯一の教会を信じます。罪のゆるしをもたらす唯一の洗礼を認め、死者の復活と来世のいのちを待ち望みます。アーメン。[85]わたしたちは[注釈 32]、唯一の神、全能の父、天地とすべて見えるものと見えないものの造り主を信じます。また、世々の先に父から生まれた独り子、主イエス・キリストを信じます。主は神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、造られず、生まれ、父と一体です。すべてのものは主によって造られました。主はわたしたち人類のため、またわたしたちを救うために天から降り、聖霊によっておとめマリヤから肉体を受け、人となり、ポンテオ・ピラトのもとで、わたしたちのために十字架につけられ、苦しみを受け、死んで葬られ、聖書にあるとおり三日目によみがえり、天に昇り、父の右に座しておられます。また、生きている人と死んだ人とを審(さば)くため、光のうちに再び来られます。その国は終わることがありません。また、主なる聖霊を信じます。聖霊は命の与え主、父と子から出られ、父と子とともに拝みあがめられ、預言者によって語られた主です。また、使徒たちからの唯一の聖なる公会を信じます。罪の赦しのための唯一の洗礼を信認し、死者のよみがえりと来世の命を待ち望みます。アーメン。[86]

わたしたちは、唯一の神、全能の父、天と地と、見えるものと見えないものすべての造り主を信じます。わたしたちは、唯一の主、神の独り子、イエス・キリストを信じます。主はすべての時に先立って、父より生まれ、光よりの光、まことの神よりのまことの神、造られずに生まれ、父と同質であり、すべてのものはこの方によって造られました。主は、わたしたち人間のため、またわたしたちの救いのために、天より降り、聖霊によって、おとめマリアより肉体を取って、人となり、わたしたちのためにポンティオ・ピラトのもとで十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って、三日目によみがえり、天に昇られました。そして父の右に座し、生きている者と死んだ者とをさばくために、栄光をもって再び来られます。その御国は終わることがありません。わたしたちは、主であり、命を与える聖霊を信じます。聖霊は、父と子から出て、父と子とともに礼拝され、あがめられ、預言者を通して語ってこられました。わたしたちは、唯一の、聖なる、公同の、使徒的教会を信じます。わたしたちは、罪のゆるしのための唯一の洗礼を、信じ告白します。わたしたちは、死人のよみがえりと来るべき世の命を待ち望みます。アーメン[87]我われ信しんず一(ひとつ)の神(かみ)父(ちち)・全(ぜん)能(のう)者(しゃ)・天(てん)と地(ち)・見(み)ゆると見(み)えざる萬(ばん)物(ぶつ)を造(つく)りし主(しゅ)を。又(また)信(しん)ず一(ひとつ)の主(しゅ)イイススハリストス・神(かみ)の獨(どく)生(せい)の子(こ)・萬(よろづ)世(よ)の前(さき)に父(ちち)より生(う)まれ・光(ひかり)よりの光(ひかり)・眞(まこと)の神(かみ)よりの眞(まこと)の神(かみ)・生(うま)れし者(もの)にて造(つく)られしに非(あら)ず、父(ちち)と一(いつ)躰(たい)にして萬(ばん)物(ぶつ)彼(かれ)に造(つく)られ我(われ)ら人々(ひとびと)の爲(ため)め又我(またわれ)等(ら)の救(すく)ひの爲(ため)に天(てん)より降(くだ)り、聖神及(せいしんおよ)び童貞女(どうていぢよ)マリヤより身(み)を取(と)り人(ひと)と爲(な)り我(われ)等(ら)の爲(ため)にポンティイピラトの時十(ときじふ)字架(じか)に釘(くぎ)うたれ苦(くるしみ)を受(う)け葬(はうむ)られ第三日(だいさんじつ)に聖書(せいしょ)に應(かな)ふて復(ふく)活(くわつ)し天(てん)に升(のぼ)り父(ちち)の右(みぎ)に坐(ざ)し光(くわう)榮(えい)を顕(あら)はして生(い)ける者(もの)と死(し)せし者(もの)を審判(しんぱん)する爲(ため)に還(ま)た來(きた)り其國終(そのくにをは)りなからんを。


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