ニカイア・コンスタンティノポリス信条は(そして使徒信条も)、父、子、聖霊の順に、三位一体について言及している。
キリスト教において、神は一つであり、かつ父・子・聖霊(聖神)と呼ばれる三つの位格があるとされる[90][91][92][93][注釈 33]。このことから、キリスト教において神は三位一体(正教会では至聖三者[94])と呼ばれる(あるいはこうした理解をする教理を三位一体と呼ぶ[92][93])。
「父・子・聖霊」のうち、「子」が受肉(藉身)して、まことの神・まことの人(神人)となったのが、イエス・キリストであるとされる[95][96]。
三位一体論が難解であることはキリスト教会においても前提となっている。例えばカトリック教会においては、神は自身が三位一体である事を啓示・暗示してきたが、神自身が三位一体であることは理性のみでは知り得ないだけでなく、神の御子の受肉と聖霊の派遣以前には、イスラエルの民の信仰でも知り得なかった神秘であるとされる[97]。正教会においては、「三つが一つであり、一つが三つというのは理解を超えていること」とし、三位一体についても「理解する」対象ではなく「信じる」対象としての神秘であると強調される[78]。
難解な三位一体論を説明するにあたり、「(いわゆる正統派における)三位一体論ではないもの」を説明する、いわば消去法のような形で、(いわゆる正統派における)三位一体論に接近する手法がある[90]。
「『子』と『聖霊』は、被造物(造られたもの)」ではない[90][98]。
「『父』、『子』、『聖霊』とは、時代によって神が自分を表す様式(mode)を変えていったもの」ではない[90][99][100]。
「一人三役のようなもの」ではない[90][99][100]。
「『父』だけが神であり、イエスに宿ったのは神の『力』に過ぎない」は誤り[99][100]。
「『父』『子』『聖霊』は、三つの神」ではない[90][101][102][103]。
教派の概要キリスト教諸教派の系統概略図「キリスト教諸教派の一覧」も参照
キリスト教は現代において多くの教派に分かれている。これを歴史的にみると、教義上の違いから325年に異端とされたアリウス派[104]などを別にすれば、まずは正教会に代表される東方キリスト教と、カトリック教会に代表される西方キリスト教に大きく分けられる[105]。これは古代にキリスト教を国教としたローマ帝国が395年に東と西の2つの帝国に分離した[106]ことなどにその端を発する[105]。東方では451年のカルケドン公会議を画期として正統とされた教会から異端とされた教会が分離した[107]。分離した教会は東方諸教会と呼ばれる[107]。カルケドン公会議で正統とされた教会においては東西でその教義に関して聖霊の発出[108]という神学上の問題などが原因となって中世に東方と西方のキリスト教会の亀裂が深まり、1054年に分裂した[109]。その後1204年に第4回十字軍が東方キリスト教の中心地コンスタンティノープルを攻撃して占領・略奪し[110]分裂が決定的になった[111]。これ以降、東方の教会は正教会、西方の教会はカトリック教会となった[111]。
西方では1077年のカノッサの屈辱[112]として知られる事件に象徴されるようにカトリック教会やその首長である教皇が宗教上のみならず俗権においても国家や王を上回る権力を有するようになった[105]。カトリック教会はその後堕落や腐敗が問題にされるようになる[113]。カトリック教会を批判したフスはカトリック教会から異端とされて1415年に火刑に処された[114]。16世紀になり、1517年のルターの九十五か条の提題をきっかけとして始まった宗教改革によって西方においてはプロテスタントの教会が誕生した[113]。イギリスではイングランド王ヘンリー8世(在位:1509年 - 1547年)が自身の離婚問題をきっかけにしてイギリスの教会をカトリック教会から分離してイングランド国教会とした[115][116]。