キリスト教
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日本正教会 時課経145頁より[注釈 31]
わたしは[注釈 32]信じます。唯一の神、全能の父、天と地、見えるもの、見えないもの、すべてのものの造り主を。わたしは信じます。唯一の主イエス・キリストを。主は神のひとり子、すべてに先立って父より生まれ、神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、造られることなく生まれ、父と一体。すべては主によって造られました。主は、わたしたち人類のため、わたしたちの救いのために天からくだり、聖霊によって、おとめマリアよりからだを受け、人となられました。ポンティオ・ピラトのもとで、わたしたちのために十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書にあるとおり三日目に復活し、天に昇り、父の右の座に着いておられます。主は、生者(せいしゃ)と死者を裁くために栄光のうちに再び来られます。その国は終わることがありません。わたしは信じます。主であり、いのちの与え主である聖霊を。聖霊は、父と子から出て、父と子とともに礼拝され、栄光を受け、また預言者をとおして語られました。わたしは、聖なる、普遍の、使徒的、唯一の教会を信じます。罪のゆるしをもたらす唯一の洗礼を認め、死者の復活と来世のいのちを待ち望みます。アーメン。[85]わたしたちは[注釈 32]、唯一の神、全能の父、天地とすべて見えるものと見えないものの造り主を信じます。また、世々の先に父から生まれた独り子、主イエス・キリストを信じます。主は神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、造られず、生まれ、父と一体です。すべてのものは主によって造られました。主はわたしたち人類のため、またわたしたちを救うために天から降り、聖霊によっておとめマリヤから肉体を受け、人となり、ポンテオ・ピラトのもとで、わたしたちのために十字架につけられ、苦しみを受け、死んで葬られ、聖書にあるとおり三日目によみがえり、天に昇り、父の右に座しておられます。また、生きている人と死んだ人とを審(さば)くため、光のうちに再び来られます。その国は終わることがありません。また、主なる聖霊を信じます。聖霊は命の与え主、父と子から出られ、父と子とともに拝みあがめられ、預言者によって語られた主です。また、使徒たちからの唯一の聖なる公会を信じます。罪の赦しのための唯一の洗礼を信認し、死者のよみがえりと来世の命を待ち望みます。アーメン。[86]

わたしたちは、唯一の神、全能の父、天と地と、見えるものと見えないものすべての造り主を信じます。わたしたちは、唯一の主、神の独り子、イエス・キリストを信じます。主はすべての時に先立って、父より生まれ、光よりの光、まことの神よりのまことの神、造られずに生まれ、父と同質であり、すべてのものはこの方によって造られました。主は、わたしたち人間のため、またわたしたちの救いのために、天より降り、聖霊によって、おとめマリアより肉体を取って、人となり、わたしたちのためにポンティオ・ピラトのもとで十字架につけられ、苦しみを受け、葬られ、聖書に従って、三日目によみがえり、天に昇られました。そして父の右に座し、生きている者と死んだ者とをさばくために、栄光をもって再び来られます。その御国は終わることがありません。わたしたちは、主であり、命を与える聖霊を信じます。聖霊は、父と子から出て、父と子とともに礼拝され、あがめられ、預言者を通して語ってこられました。わたしたちは、唯一の、聖なる、公同の、使徒的教会を信じます。わたしたちは、罪のゆるしのための唯一の洗礼を、信じ告白します。わたしたちは、死人のよみがえりと来るべき世の命を待ち望みます。アーメン[87]我われ信しんず一(ひとつ)の神(かみ)父(ちち)・全(ぜん)能(のう)者(しゃ)・天(てん)と地(ち)・見(み)ゆると見(み)えざる萬(ばん)物(ぶつ)を造(つく)りし主(しゅ)を。又(また)信(しん)ず一(ひとつ)の主(しゅ)イイススハリストス・神(かみ)の獨(どく)生(せい)の子(こ)・萬(よろづ)世(よ)の前(さき)に父(ちち)より生(う)まれ・光(ひかり)よりの光(ひかり)・眞(まこと)の神(かみ)よりの眞(まこと)の神(かみ)・生(うま)れし者(もの)にて造(つく)られしに非(あら)ず、父(ちち)と一(いつ)躰(たい)にして萬(ばん)物(ぶつ)彼(かれ)に造(つく)られ我(われ)ら人々(ひとびと)の爲(ため)め又我(またわれ)等(ら)の救(すく)ひの爲(ため)に天(てん)より降(くだ)り、聖神及(せいしんおよ)び童貞女(どうていぢよ)マリヤより身(み)を取(と)り人(ひと)と爲(な)り我(われ)等(ら)の爲(ため)にポンティイピラトの時十(ときじふ)字架(じか)に釘(くぎ)うたれ苦(くるしみ)を受(う)け葬(はうむ)られ第三日(だいさんじつ)に聖書(せいしょ)に應(かな)ふて復(ふく)活(くわつ)し天(てん)に升(のぼ)り父(ちち)の右(みぎ)に坐(ざ)し光(くわう)榮(えい)を顕(あら)はして生(い)ける者(もの)と死(し)せし者(もの)を審判(しんぱん)する爲(ため)に還(ま)た來(きた)り其國終(そのくにをは)りなからんを。

又信(またしん)ず聖神(せいしん)・主(しゅ)・生(いのち)を施(ほどこ)す者(もの)、父(ちち)より出(い)で父及(ちちおよ)び子(こ)と共(とも)に拝(おが)まれ讚(ほ)められ預(よ)言者(げんしゃ)を以(もつ)て嘗(かつ)て言(い)ひしを。又信(またしん)ず一(ひとつ)の聖(せい)なる公(おほやけ)なる使徒(しと)のヘ(けう)會(くわい)を。我認(われみと)む一(ひとつ)の洗禮以(せんれいもつ)て罪(つみ)の赦(ゆるし)を得(う)るを。我望(われのぞ)む死(し)者(しや)の復(ふく)活(くわつ)並(ならび)に來世(らいせい)の生命(いのち)を。「アミン」。
ギリシア語: Πιστε?ω[注釈 32] ε?? ?να Θε?ν, Πατ?ρα, Παντοκρ?τορα, ποιητ?ν ο?ρανο? κα? γ??, ?ρατ?ν τε π?ντων κα? ?ορ?των. Κα? ε?? ?να Κ?ριον ?ησο?ν Χριστ?ν, τ?ν Υ??ν το? Θεο? τ?ν Μονογεν?, τ?ν ?κ το? Πατρ?? γεννηθ?ντα πρ? π?ντων τ?ν α??νων. Φ?? ?κ φωτ??, Θε?ν ?ληθιν?ν ?κ Θεο? ?ληθινο? γεννηθ?ντα, ο? ποιηθ?ντα, ?μοο?σιον τ? Πατρ?, δι' ο? τ? π?ντα ?γ?νετο. Τον δι' ?μ?? το?? ?νθρ?που? κα? δι? τ?ν ?μετ?ραν σωτηρ?αν κατελθ?ντα ?κ τ?ν ο?ραν?ν κα? σαρκωθ?ντα ?κ Πνε?ματο? ?γ?ου κα? Μαρ?α? τ?? Παρθ?νου κα? ?νανθρωπ?σαντα. Σταυρωθ?ντα τε ?π?ρ ?μ?ν ?π? Ποντ?ου Πιλ?του κα? παθ?ντα κα? ταφ?ντα. Κα? ?ναστ?ντα τ? τρ?τ? ?μ?ρ? κατ? τ?? Γραφ??. Κα? ?νελθ?ντα ε?? το?? Ο?ρανο?? κα? καθεζ?μενον ?κ δεξι?ν το? Πατρ??. Κα? π?λιν ?ρχ?μενον μετ? δ?ξη? κρ?ναι ζ?ντα? κα? νεκρο??, ο? τ?? βασιλε?α? ο?κ ?σται τ?λο?. Κα? ε?? τ? Πνε?μα τ? ?γιον, τ? Κ?ριον, τ? Ζωοποι?ν, τ? ?κ το? Πατρ?? ?κπορευ?μενον, τ? σ?ν Πατρ? κα? Υ?? συμπροσκυνο?μενον κα? συνδοξαζ?μενον, τ? λαλ?σαν δι? τ?ν Προφητ?ν. Ε?? Μ?αν, ?γ?αν, Καθολικ?ν κα? ?ποστολικ?ν ?κκλησ?αν. ?μολογ? ?ν Β?πτισμα ε?? ?φεσιν ?μαρτι?ν. Προσδοκ? ?ν?στασιν νεκρ?ν. Κα? ζω?ν το? μ?λλοντο? α??νο?. ?μ?ν.[88]

三位一体の神左側は1210年頃に描かれた図式を抽出したもの。右側は20世紀末のプロテスタントの書籍に使われた図式[89]

ニカイア・コンスタンティノポリス信条は(そして使徒信条も)、父、子、聖霊の順に、三位一体について言及している。

キリスト教において、神は一つであり、かつ父・子・聖霊(聖神)と呼ばれる三つの位格があるとされる[90][91][92][93][注釈 33]。このことから、キリスト教において神は三位一体正教会では至聖三者[94])と呼ばれる(あるいはこうした理解をする教理を三位一体と呼ぶ[92][93])。

「父・子・聖霊」のうち、「子」が受肉(藉身)して、まことの神・まことの人(神人)となったのが、イエス・キリストであるとされる[95][96]

三位一体論が難解であることはキリスト教会においても前提となっている。例えばカトリック教会においては、神は自身が三位一体である事を啓示・暗示してきたが、神自身が三位一体であることは理性のみでは知り得ないだけでなく、神の御子受肉聖霊の派遣以前には、イスラエルの民の信仰でも知り得なかった神秘であるとされる[97]正教会においては、「三つが一つであり、一つが三つというのは理解を超えていること」とし、三位一体についても「理解する」対象ではなく「信じる」対象としての神秘であると強調される[78]

難解な三位一体論を説明するにあたり、「(いわゆる正統派における)三位一体論ではないもの」を説明する、いわば消去法のような形で、(いわゆる正統派における)三位一体論に接近する手法がある[90]

「『子』と『聖霊』は、被造物(造られたもの)」ではない[90][98]

「『父』、『子』、『聖霊』とは、時代によって神が自分を表す様式(mode)を変えていったもの」ではない[90][99][100]

「一人三役のようなもの」ではない[90][99][100]

「『父』だけが神であり、イエスに宿ったのは神の『力』に過ぎない」は誤り[99][100]

「『父』『子』『聖霊』は、三つの神」ではない[90][101][102][103]


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