キユーピー
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同様の例として富士フイルム[注 1]キヤノンシヤチハタオンキヨーエーアイテイージヤトコ[注 2]キヤリアなどがある。国語国字改革前に創業した老舗企業では、歴史的仮名遣として社名の拗音を現在でも小書きにしない会社も多い。なお、ドレッシングボトルの点字では、読みを優先させるという観点から「きゅーぴー」で表記している。

ロゴマークの由来はキューピー人形である[注 3]。ただしイスラム圏では、キユーピーが天使イスラム教禁忌である偶像崇拝)と誤解されないために、2013年からのないキユーピーが描かれている[5]。キユーピーの英文商号は、2010年2月まで「Q.P. Corporation」としていたが、同年2月23日より「Kewpie Corporation」に変更した。製品のマヨネーズに印字される文字は、以前から常にキューピー人形と同じ「KEWPIE」で、公式ウェブサイトドメイン名もkewpie.co.jpである。瓶入りマヨネーズなど、極一部の製品にこの文字が印字されている。2010年(平成22年)1月21日に同年2月23日株主総会で、英文商号を「Kewpie Corporation」に変更する提案の告知が行われ、実際に変更が行われた[6]2017年(平成29年)から、テレビ番組における協賛表示クレジットやCMサウンドロゴも「キユーピー」から「kewpie」に変更されている[7][注 4]

キユーピーのマークは1922年(大正11年)に日本で(第147269号)、1965年(昭和40年)にアメリカ合衆国で商標登録を行っている。

企業キャッチフレーズは「Food, for ages 0-100」「愛は食卓にある。(love around the kitchen table)」。2007年(平成19年)4月からは「愛は食卓にある。」のキャッチフレーズを加えて商標として使用している。

1998年(平成10年)、ローズ・オニール遺産財団からキューピーの日本での著作権を譲り受けた「日本キューピークラブ」の代表が、「キユーピーマヨネーズのロゴマークは著作権侵害にあたる」と裁判を起こしたが、原告の請求は棄却された[8]

東京都世田谷区の「キューピータクシー」という社名のタクシー会社を、キユーピーが商標の無断使用で裁判に訴えた。そのため、この会社は2000年(平成12年)3月1日付で、ビゲスト株式会社(Biguest=BigとGuestの合成語)に社名を変更した[9]

沿革キユーピー北京工場(北京丘比食品有限公司)

出典:キユーピー企業サイト「キユーピーの歩みと未来」

1919年大正8年)11月 - 中島董一郎が、東京府豊多摩郡中野町(現在の東京都中野区小滝町)に食品工業株式会社を設立。

1925年(大正14年)3月 - 日本初のマヨネーズ「キユーピーマヨネーズ」を発売、商標として「キユーピー」を使用。

1932年昭和7年) - 株式会社旗道園(現・アヲハタ)を設立。

1933年(昭和8年) - 東京府北多摩郡西府村(現在の東京都府中市)に西府農場を設置、マヨネーズ原料の鶏卵を生産。

1938年(昭和13年) - 現在の兵庫県伊丹市に稲野工場(現・伊丹工場)を設置。

1941年(昭和16年)- 中島董一郎が代表取締役社長に就任。

1945年(昭和20年)- 東京大空襲により、中野区の本社および工場を焼失。

1948年(昭和23年)- 戦時中に中止していたマヨネーズ製造を西府農場で再開。

1951年(昭和26年)- 東京府北多摩郡神代村(現在の東京都調布市仙川町)に仙川工場を設置(現・仙川キユーポート)[10]

1957年(昭和32年)9月 - 商号をキユーピー株式会社に変更。

1958年(昭和33年)- 日本初のドレッシング「キユーピーフレンチドレッシング(赤)」を発売。

1959年(昭和34年)- 日本初のミートソース缶詰「キユーピーミートソース」、日本初のホワイトソース缶詰「キユーピーホワイトソース」を発売。

1960年(昭和35年)- 本社を東京都調布市仙川町に移転。

1962年(昭和37年)

東京都府中市に西府産業株式会社(現・キユーピー醸造株式会社)を設立。

12月3日 - テレビ番組キユーピー3分クッキング』の放送開始。


1964年(昭和39年)- 佐賀県鳥栖市に鳥栖工場を設置(現・鳥栖キユーピー株式会社)。

1965年(昭和40年)- 日本初の醤油ベースドレッシング「キユーピー オリエンタルドレッシング」発売。

1966年(昭和41年)2月 - キユーピーの倉庫部門が分離・独立し、キユーピー倉庫株式会社として設立(現・キユーソー流通システム)。

1968年(昭和43年)3月 - 本社を東京都渋谷区に移転。

1970年(昭和45年)7月 - 東京証券取引所第2部に上場。

1972年(昭和47年)- キユーピー製造商品の販売を中島董商店からキユーピーに移管。

1973年(昭和48年)

4月 - 東京証券取引所第1部に上場。

12月19日 - 創業者の中島董一郎が死去。

12月 - キユーピー株式会社、中島董商店の販売部門を継承。


1977年(昭和52年)- 東京都府中市の中河原工場が仙川工場から独立。

1988年(昭和63年)- 中河原工場の分工場として、青森県三戸郡に階上工場を設置(現・階上キユーピー株式会社)

1993年平成5年)- 中華人民共和国に北京丘比食品有限公司を設立。

1998年(平成11年)- 日本初の家庭用介護食を発売。翌年、ユニバーサルデザインフード「キユーピー やさしい献立」を発売。

1999年(平成12年)

2月 - 東京都府中市住吉町に、株式会社サラダクラブを三菱商事との合弁会社として設立(2013年10月、仙川キユーポートへ本社移転)[11]

4月 - サラダクラブ中河原工場(キユーピー中河原工場内)でパッケージサラダ5品の製造販売を開始[11]


2013年(平成25年)

9月1日 - 連結子会社の株式会社菜華(生鮮野菜の加工・販売業)[注 5]を吸収合併[12]

10月15日

渋谷の本社社屋の建て替え工事に伴い、本社を旧仙川工場跡地に完成した仙川キユーポートへ仮移転。中島董商店などグループ4社の社屋・事務所、労働組合企業年金の事務所もそれぞれ仮移転[10][13]

東京都府中市のキユーピー醸造(宮町1丁目40)、サラダクラブ(住吉町5丁目13-1)の本社を仙川キユーポートへ移転。


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