キューバ
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国際連合総会では1992年以来連続でアメリカに対してキューバに対する国交断絶と経済制裁を終了し、外交・経済関係を回復するよう求める決議案が提出され、採決の結果は毎年、アメリカとイスラエルが反対、パラオミクロネシアマーシャル諸島は棄権、それ以外の国はすべて賛成で可決されてきた[17][18][19]。特に2015年には史上最多の191国が決議に賛成した(従来棄権していた太平洋の島嶼諸国も賛成に回り、反対票はアメリカとイスラエルのみ)。

2006年7月31日、フィデル・カストロ国家評議会議長は声明を出し、7月後半のアルゼンチン外遊の多忙な日程の影響で腸に急性の問題が発生、出血が続いているため、外科手術を受けたと発表した。そして権限を数週間、弟のラウル国家評議会第一副議長兼国防相に委譲したことを明らかにした。声明は秘書官が読み上げ、国営テレビ・ラジオで伝えた。2006年8月3日、アメリカのブッシュ大統領はフィデル・カストロ声明に便乗して、「われわれは民主主義を約束するキューバの移行政権を樹立する努力を支持する」と「政権転覆」を呼びかける声明を出した。

2007年5月、米テキサス州エル・パソの連邦地裁が、クバーナ航空455便爆破事件に関与した反革命傭兵軍のルイス・ポサダ・カリレスを釈放し、キューバの雪解けは国際政策となった。

2008年2月19日、フィデル・カストロは国家評議会議長(国家元首)と閣僚評議会議長(首相)、軍最高司令官の退任を正式に表明した。2月24日、人民権力全国会議(国会)が招集され、国家評議会議長に弟のラウルが選出された。ラウルは就任早々、規制緩和を次々打ち出し、一般国民の携帯電話所持やホテル宿泊、家電製品購入などが自由にできるようになった。2008年4月28日、ラウル・カストロ国家評議会議長は、第6回中央委員会総会で、第6回党大会を来年度後半に開くことを提案した。大会開催は1997年10月以来12年ぶりとなる。8月19日、キューバ中央銀行が日本の化学品商社・明和産業への輸入代金の支払に発行した信用状(L/C)が期日までに決済不能に陥ったことが判明した(債務不履行)。明和産業によると債権額は約8億7,200万円であり、独立行政法人日本貿易保険が一部焦付額に保険を適用すると発表した[20]。なお、日本貿易保険はキューバ中央銀行から「当行一行だけの問題ではなく、国全体の決済資金が不足している」との説明を受けたとしている[21]

アメリカのバラク・オバマ政権は従来のキューバ敵視政策を転換し、2014年に両国は国交回復交渉の開始を発表。お互いの捕虜を解放し、送金や輸出の緩和を実行した。翌2015年には54年ぶりに国交が回復され、2016年にはオバマ大統領がハバナを訪問した。詳細は「キューバの雪解け」を参照

その後、2017年のドナルド・トランプ大統領就任以降、アメリカはキューバに再び厳しい姿勢を示している。
略年表

1492年
クリストバル・コロン、キューバ島に到着(12月27日)

1509年 ディエゴ・ベラスケス・デ・クエリャル、キューバ総督に任命

1868年 第一次独立戦争(10年戦争)開始

1895年 ホセ・マルティ、オリエンテのラプライータに上陸、第二次独立戦争開始(4月10日)

5月19日 マルティ戦死


1898年 米西戦争(2月)

1902年 独立、エストラーダ=パルマ政権発足(5月)

1903年 アメリカ、グァンタナモ湾を租借

1952年 バティスタ軍曹のクーデター(3月)

1953年 モンカダ兵営襲撃(7月26日)、モンカダ裁判(9月)

1955年 フィデル・カストロ恩赦、メキシコへ亡命

1956年 グランマ号でオリエンテ州に上陸(12月)7月26日運動、活動開始

1957年 革命幹部会による大統領官邸襲撃(3月)

1958年 反乱軍の最終攻勢始まる

1959年 バティスタ大統領亡命(1月1日)

2月17日 フィデル・カストロ、首相に就任、革命政権成立(キューバ革命

4月15日 フィデル・カストロ、ニューヨークへアメリカ政府に対する表敬訪問。アメリカ政府はアイゼンハウアー大統領がゴルフに出かけたとの理由で首脳会談を拒否

5月17日 農地改革法公布


1960年 アメリカ政府、キューバ砂糖輸入割当廃止の意向発表

2月4日 アナスタス・ミコヤンソ連副首相訪問、キューバ・ソ連通商条約調印

4月4日 ユナイテッド・フルーツ社有地が接収される

6月29日 テキサコ製油所介入

7月1日 エッソロイヤル・ダッチ・シェルの製油所へ介入

7月2日 アメリカ政府、キューバ砂糖輸入割当制度を廃止

8月6日 アメリカ企業接収


1961年 アメリカと国交断絶(1月3日)

4月4日 傭兵軍航空機によるハバナなどへの航空施設爆撃

4月16日 フィデル・カストロ、社会主義革命宣言

4月17日 反革命傭兵軍上陸事件(- 19日 ピッグズ湾事件)

4月25日 アメリカ、対キューバ全面的貿易封鎖発表


1962年 キューバ危機(10月15日)、ケネディ米大統領、対キューバ海上封鎖宣言(10月22日)

10月27日 オリエンテ州北部でU-2機撃墜

10月28日 フルシチョフ・ソ連首相、ミサイル撤去受け入れ


1963年 フィデル・カストロ、初のモスクワ訪問

1965年 キューバ共産党結成

1967年 フィデル・カストロ、チェ・ゲバラボリビアでの死亡を発表

1975年 第一回共産党大会、アンゴラ派兵本格化

1976年

新憲法制定

クバーナ航空455便爆破事件。傭兵軍のルイス・ポサダ・カリレス、乗客乗員73人全員を殺害


1977年 アメリカと利益代表部設置で合意

1981年 革命ニカラグアへ派遣した教師が暗殺

1983年 アメリカのグレナダ侵攻に抗議して派兵

1992年 憲法改正により、キューバを社会主義国家と定義。米国でトリチェリ法[注釈 3] 成立、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領が署名

1993年 ドル所有の合法化

12月22日 フィデル・カストロの実の娘、アリナ・フェルナンデスがアメリカへ亡命


1995年 米・キューバ移民協議、難民問題でアメリカ政府と合意[22]

1996年 アメリカでヘルムズ=バートン法[注釈 4] 成立、クリントン大統領が署名

1998年 ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世のキューバ訪問

1999年 アメリカ、対キューバ経済制裁の一部緩和措置発表、エリアン少年事件

2000年 アメリカによる対キューバ経済制裁の一部緩和措置発表

2001年 アメリカからへの食糧購入開始

2002年 ジミー・カーター元アメリカ大統領キューバ訪問。憲法改正

2005年 米国務長官コンドリーザ・ライス、キューバを北朝鮮イランと並ぶ「圧制の拠点」と発言し、打倒すべき独裁政権のひとつにあげた。キューバ航空機爆破、フィデル・カストロ暗殺未遂など親米テロの廉で逮捕され、保釈後ベネスエラへ逃亡していた傭兵軍のカリレス、アメリカへ亡命を求めて脱出するもマイアミで逮捕される

2008年

2月 フィデル・カストロ、国家評議会議長引退を発表

2月24日、ラウル・カストロが国家評議会議長に選出


2009年

6月 米州機構総会においてキューバの復帰が認められる。しかしキューバは復帰を拒否


2011年 部分的に市場経済が導入される

2014年

12月18日 アメリカとの国交正常化交渉を開始すると発表


2015年

4月11日 59年ぶりのアメリカ・キューバ首脳会談が行われる

7月20日 アメリカと国交回復


2016年

9月、国営企業で働く約100万人を対象に10月から課税すると発表。約半世紀ぶりに国営企業従業員への課税となる

11月25日、フィデル・カストロ前国家評議会議長が死去[23]


2018年

4月19日、ミゲル・ディアス=カネルが国家評議会議長に就任


2019年

新憲法(現行憲法)制定。国家元首の役職が43年ぶりに「大統領」となる


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