キャバレー_(1972年の映画)
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この時まだナチスの権力はそれほど強くはなかったが、ナタリアの愛犬が殺されるなど徐々に状況は悪くなってきている。

ナチスの暴力支配が広がってくる。キットカット・クラブにおいて、最初は国家社会主義者が時々悪さをして追い出されていたが、最後には客席のほとんどが国家社会主義ドイツ労働者党員で埋め尽くされる。郊外のビアガーデンでナチスの台頭が示される。屋外の明るい太陽のもと、少年がくつろいでいる老若男女の客に向かって自然および若さの美しさについての純朴な歌を歌う("Tomorrow Belongs To Me")。しかしこの少年が着ているのはヒトラーユーゲントの制服である。音楽の高揚に合わせ、少年は腕を上げてナチス式敬礼をする。アカペラのバラードは徐々に暴力的な軍歌に変化し、観客のほとんどが集団ヒステリー状態となってどんどん歌に参加していく。マックスとブライアンはその光景を見て車に戻り、ブライアンはマックスに「きみはまだ彼らをコントロールできると思うかい」と尋ねる。のちにブライアンは路上でナチスの軍人に立ち向かうが、ただ何度も殴られるだけであった。

狂言回しMC(ジョエル・グレイ)は、その表情は慈悲、歓待に満ちている("Willkommen")。しかし、キットカット・クラブでの彼の曲は最初はジョークやナチスへのからかいであったが、最後の方では反ユダヤ主義の高まりを表現している。
キャスト

役名俳優日本語吹替
サリー・ボールズ
ライザ・ミネリ神保共子
ブライアン・ロバーツマイケル・ヨーク柴田p彦
マクシミリアン・フォン・ヒューナヘルムート・グリーム横内正
MCジョエル・グレイ槐柳二
ナタリア・ランダウアーマリサ・ベレンソン鳥居恵子
フリッツ・ヴェンデルフリッツ・ヴェッパー(英語版)工藤堅太郎
ボビーゲルト・ヴェスパーマン


テレビ放送:新春洋画劇場



Elisabeth Neumann-Viertel as フロウライン・シュナイダー

Helen Vita as フロウライン・コスト

Sigrid von Richthofen as Fraulein Mayr

Gerd Vespermann as Bobby

Ralf Wolter as Herr Ludwig

Georg Hartmann as Willi

Ricky Renee as Elke

Oliver Collignon as ヒトラーユーゲント (マーク・ランバート、歌の吹き替え)[5] (uncredited)

キットカット・ダンサーズ:

Kathryn Doby

Inge Jaeger

Angelika Koch

Helen Velkovorska

Gitta Schmidt

Louise Quick



プロダクション
プレ・プロダクション

脚本家のジェイ・プレッソン・アレンとヒュー・ウィーラーはわきすじをジゴロとユダヤ人相続人についてのオリジナルの物語に戻すことにした。彼らはオリジナルの作家のクリストファー・イシャウッドの同性愛のオープンさを、彼をモデルにした主人公の作家の男性に投影し、バイセクシャルとしてサリーと恋人を共有させた。フォッシーは1930年代のドイツのデカダンスの隠喩としてサリーが出演するキットカット・クラブに焦点を当てることにし、クラブ以外のシーンの音楽は1曲を除いて全て削除した。残された1曲『Tomorrow Belongs to Me 』は屋外のカフェで客により自発的に歌われるフォークソングで、作品中で最も穏やかなシーンの1つである。またオリジナルの作曲家のジョン・ケンダーとフレッド・エブにより新曲『Mein Herr 』、『Money 』、『Maybe This Time 』が作曲された。

新曲は全て主人公を演じるライザ・ミネリが歌った(『Money 』はグレイと共に歌唱)。皮肉にもミネリはオリジナル・ブロードウェイ・プロダクションのサリー役のオーディションを受けていた。当時ミネリは『Flora the Red Menace 』でトニー賞ミュージカル主演女優賞を獲得していたが、ブロードウェイ公演関係者らはミネリは経験不足とみていたのである。さらにブロードウェイ版のサリー役にはミネリは大柄すぎたという意見もある。映画公開時、ミネリはすでにメジャーな映画スターであり、『くちづけ(英語版)』の傷付きやすい大学生役でアカデミー賞にノミネートされていた。

1971年、ボブ・フォッシーはオリジナル・ブロードウェイ・プロダクションの演出家ハロルド・プリンスからサイ・フュアーがABCピクチャーズアライド・アーティスツで『キャバレー』映画化をプロデュースしていることを知った。これはアライド・アーティスツの再起をかけた1作目であった。すでに映画を監督する決意をしていたフォッシーはフュアーに自分を雇うよう直談判した。重役のマニー・ウォルフとマーティン・バウムはビリー・ワイルダージョーゼフ・L・マンキーウィッツジーン・ケリーなどの著名人に監督を頼みたかった。フォッシーが監督した『スウィート・チャリティ』映画化で失敗したこともウォルフとボウムは気がかりであった。フュアーはフォッシーの演出やミュージカル曲の撮影の才能をアピールし、ミュージカル曲と同じ労力で映画を撮ることを重要視するなら、映画全体のバランスが崩れると語った。結局フォッシーが監督として雇われた。数ヶ月が過ぎ、以前に雇われていた脚本家のジェイ・プレッソン・アレンと脚本について話し合った。アレンの脚本に不満であったフォッシーはヒュー・ウィーラーをリライトおよび改訂のために雇った。アランは脚本家として残り、ウィーラーは「リサーチ・コンサルタント」ということになった。最終的な脚本はジョー・マスタロフのオリジナルの舞台版の要素 は少なく、『ベルリン物語』および『私はカメラ』の要素が強くなった。

フォッシーとフュアーはロケ地に選ばれたドイツへ向かい、撮影スタッフを集めることになった。この時フォッシーはロバート・サーティースをカメラマンとして強く薦めたが、フュアーや重役がサーティースが撮った『スウィート・チャリティ』を見て多くの芸術的問題があると感じていた。最終的にイギリスのカメラマンのジェフリー・アンスワースが選ばれた。ロルフ・チヘットバワー、ハンス・ヨーグン・キーバッハ、ハーバート・ストラベルがプロダクションデザイナーとなり、シャーロット・フレミングが衣裳デザインを担当した。ダンサーのケイシー・ダビー、ジョン・シャープがフォッシーの振付補佐となった 。サリー・ボウルズ役のライザ・ミネリ


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