キャスリーン・ケネディ_(映画プロデューサー)
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『1941』で、ケネディはスピルバーグの助手として製作に参加し、彼に注目されている[9]。その後、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』の製作に参加してスピルバーグの信頼を得て、彼がプロデュースした『ポルターガイスト』の製作にも参加している。1981年にスピルバーグ、フランク・マーシャルと共に映画製作会社アンブリン・エンターテインメントを設立する。1982年公開の『E.T.』で初めてプロデューサーとしてクレジットされ、これ以後30年以上に渡りスピルバーグ作品に携わるようになり、ハリウッドにおける著名なプロデューサーの地位を確立した。

1980年代から1990年代にかけて国立学生映画研究所(英語版)の諮問委員を務め、1991年には映画製作支援の功績を認められグリミー賞を受賞した。また、諮問委員の他に研究所の名誉会長も務めていた[10][11]。1992年にはサンタモニカを拠点とする映画製作会社ザ・ケネディ/マーシャル・カンパニーを設立し、ドリームワークスと提携した。また、スピルバーグとのビジネス関係も継続し、『ジュラシック・パーク』『シンドラーのリスト』に製作・製作総指揮として参加している。1995年には映画業界における女性の地位向上に貢献したことを認められ、クリスタル・アンド・ルーシー賞(英語版)のクリスタル賞を受賞した[12]

2001年から2002年にかけて、ティム・ギボンズと共に全米製作者組合の共同組合長を務めた[13]。2005年に『宇宙戦争』『ミュンヘン』の製作に参加し、アカデミー賞にノミネートされた。2007年には次世代フィルムメーカーの指導と支援に貢献したことを認められ、ウーマン・イン・フィルムのパルトロウ・メンターシップ賞を受賞した[14]。2009年に夫マーシャルと共にスタジオジブリの映画『崖の上のポニョ』英語版の製作総指揮を務め[15]、引き続きジブリの『借りぐらしのアリエッティ』(2012年)と『コクリコ坂から』の英語版も夫妻で製作総指揮を担当した[16][17][18]

2012年5月にザ・ケネディ/マーシャル・カンパニーの共同経営者を辞任してマーシャルが単独で経営を引き継ぎ[19][20]、6月にジョージ・ルーカスと共にルーカスフィルムの共同経営者に就任した[21][22]。ルーカスフィルムがウォルト・ディズニー・カンパニーに買収された後は社長に就任している[23]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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