2010年4月の北キプロス大統領選挙では、統合消極派のデルヴィシュ・エロール首相が当選した。任期中に交渉を進展させられなかったタラート大統領に対する有権者の不満が選挙結果に影響したものと見られ、交渉の後退が懸念された。この結果に対してトルコのエルドアン首相は再統合交渉の年内妥結を目指したい考えを述べ、エロール首相にクギを刺した[7]。これを受け、2010年7月にエロール大統領は交渉を継続し、年内の合意を目指す事を発表した[8]。以降定期的に交渉が実施されたが、2012年1月の会談でも統治、財産権、市民権に関して合意することができなかった[5]。キプロスのEU議長国就任、2013年2月の大統領選挙などの政治日程の都合のため、両国の代表による直接交渉は中断された[5]。
2013年2月に再統合に積極的なニコス・アナスタシアディスがキプロス大統領に就任。2014年2月に国連の仲介の元で両国による交渉が再開されるも、同年10月にトルコによるキプロスのEEZ内に対する調査活動が行われたことを理由に、キプロスの希望により交渉が中断された[5]。
2015年4月、再統合に積極的なムスタファ・アクンジュが北キプロス大統領に就任。同年5月に国連の仲介のもと直接交渉が再開され、2016年内の合意に向けて交渉が行われた[5]。2016年11月7日、南北両首脳による再統合交渉がスイスのモンペルランにて開催。再統合後に連邦制を採用することが合意され、年内の包括合意を目指して協議を進めることとなった[9]。2017年1月11月には和平会議にボリス・ジョンソン英外相やギリシャ、トルコ両国の外相も協議に加わったことで進展が期待された[10]が、結局2017年中に協議は決裂した。以降しばらく協議は開かれず、2021年4月下旬には非公式協議が行われたが南北の対立は解けず物別れに終わった[11]。
2023年2月12日にキプロス大統領選挙で当選したニコス・フリストドゥリディスは協議再開を求める立場ではあるが、そのためには協議を仲介する国連の枠組みを再交渉する必要があると主張している[12]。
略年表
1914年 - イギリスが併合。
1955年 - イギリス、ギリシャ、トルコ三国間協議。
1959年 - チューリッヒ協定。
1960年 - 独立。
1961年 - イギリス連邦に加盟。
1963年 - 民族紛争勃発。
1964年 - 国連平和維持軍(UNFICYP)が派遣される。
1974年
7月15日 - ギリシャの支援を受けた併合賛成派がクーデター(英語版)を起こす。
7月20日 - トルコ軍がキプロスに侵攻。
7月22日 - クーデター政権が倒壊。
7月23日 - クーデター政権を支援したギリシャ軍事政権が倒壊。
8月13日 - トルコ軍が第二次派兵を敢行し、北部を占拠。
1975年 - 北部にキプロス連邦トルコ人共和国が発足。
1977年 - 最初の統合交渉が決裂。
1983年 - 北キプロス・トルコ共和国が独立を宣言。
1997年 - 南部のキプロス共和国がEU加盟候補国となる。
2003年
4月16日 - キプロス共和国がEU加盟条約に調印。
2004年
2月9日 - 国連の仲介により南北大統領の統合住民投票案実施協議が始まる。
3月31日 - 国連案の修正による住民投票案が合意。
4月24日 - 南北同時住民投票がギリシャ系側(キプロス共和国側)の反対多数により否決。
5月1日 - キプロス共和国がEUに加盟。
10月3日 - トルコ政府がキプロス共和国を国家承認しないまま、EUはトルコとの加盟交渉を開始。
2006年
5月21日 - キプロス共和国が総選挙を実施。統合反対派が勝利。
12月11日 - トルコのキプロス共和国不承認問題のため、EUがトルコとの加盟交渉を一部凍結。
2008年
2月24日 - キプロス共和国大統領選挙で再統合推進派のフリストフィアスが当選。
3月21日 - 3月に南北大統領の首脳会談が実現。以降、同年5月23日、7月1日にも開催される。
4月1日 - レドラ通りが開放される。
7月14日 - 国連がアレクサンダー・ダウナーオーストラリア前外相を国連事務総長特別顧問に任命。交渉の仲介に乗り出す。
9月3日 - ダウナー特別顧問同席の元、南北両首脳による本格的交渉が開始される。2009年6月までに経済問題の交渉が完了。
2009年
4月21日 - 北キプロス議会選挙において、中道右派野党国民統一党が勝利。
10月2日 - ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相が、トルコによるアブハジア共和国の独立承認と引き換えに、ロシアが北キプロスの独立を承認することはないと発言[13]。