キプロス
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

10月2日 - ロシアセルゲイ・ラブロフ外相が、トルコによるアブハジア共和国の独立承認と引き換えに、ロシアが北キプロスの独立を承認することはないと発言[13]


2010年

4月18日 - 北キプロス大統領選挙において、再統合に消極的なデルヴィシュ・エロール首相が、統合推進派のタラート大統領を破って当選。


政治詳細は「キプロスの政治(英語版)」を参照

1960年の独立時に制定されたキプロス共和国憲法は、ギリシャ系住民とトルコ系住民の人口比に配慮して、元首で行政府の長でもある大統領をギリシャ系から、その行政権限を分掌し拒否権を持つ副大統領をトルコ系からそれぞれ選出し(任期5年)、国会議員、官吏、軍人などの人数も比率が7対3になるように定めている。代議院は任期5年の一院制議会であるが、その議員の選出にあたってはギリシャ系(56人)とトルコ系(24人)で別々に選挙を行うことになっている。

1974年に南北分断された後は、キプロス共和国は南部を占め、ギリシャ系住民のみの政府となっている(以下、キプロス島南部のギリシャ系キプロス共和国政府支配地域は「南キプロス」と略す)。南キプロスでは、政府における憲法上のトルコ系の定員はそのまま空席となり、副大統領も置かれず、議会の実質上の定数は56人となっている。

一方、分離独立を主張する北キプロスには公選の大統領がおり、一院制の議会(定員50人、任期5年)で選出される首相とともに行政を行う。1983年の独立後、1985年に北キプロスで最初の選挙が行われたが、この手続きを国際的に承認しているのはトルコのみである。

2021年5月30日に国会議員選挙が行われ、中道右派の民主運動党 (DISY) が17議席、左派の労働人民進歩党 (AKEL) が15議席と、それぞれ第1党・第2党を維持した。

2023年2月12日に大統領選挙の決選投票が行われ、無所属の元外相ニコス・フリストドゥリディスがAKELの支援を受けた元国際連合大使のアンドレアス・マヴロヤニス(英語版)を下して初当選を果たした[14]
国際関係詳細は「キプロスの国際関係(英語版、ギリシア語版)」を参照「日本とキプロスの関係」も参照

日本政府は、これまで在ギリシャ大使館がキプロスを兼轄していたのを改め、2018年にニコシアに大使館の実館(在キプロス日本国大使館)を開設した。

この節の加筆が望まれています。

国家安全保障

南キプロスではキプロス国家守備隊 (Cypriot National Guard) が組織されている。これは陸海空軍の混成組織(海上部隊は哨戒艦艇のみ、航空部隊は攻撃ヘリコプターや海洋哨戒機のみであり、いずれも補助的な戦力に留まる)である。徴兵制があり、男性は18歳で徴兵され、約25か月の兵役に就く。また、南キプロスにはギリシャ軍が駐留している他、軍事顧問としてギリシャ軍将兵がキプロス国家守備隊に多数出向しているといわれる。

北キプロスにも、北キプロス・トルコ共和国保安軍と呼ばれる国防組織が整備されており、南キプロス同様に陸海空軍混成である(こちらも海上部隊や航空部隊は小規模である)。また、徴兵制も同様に施行されている。実質的な防衛力として、トルコ軍が駐留している。

南北キプロスを隔てる境界線(グリーンライン)には国連キプロス平和維持軍 (UNFICYP) が駐留して監視している。

正確にはキプロス国内ではないが、イギリスの海外領土として島内にイギリス主権基地領域アクロティリおよびデケリアが存在しており、地中海・中近東方面の軍事拠点としてイギリス軍が駐留している。
地理キプロスの地図。詳細は「キプロス島」および「キプロスの地理(英語版、ギリシア語版)」を参照

キプロスは、キプロス島一島からなる島国で、長さ240km、幅100km。地中海ではシチリア島サルデーニャ島に次いで3番目に大きい島である。

南のエジプトまで380kmという地理的な面からアジア中東または西アジア)に分類される場合もあるが[15]ギリシャ系キリスト教徒が多いため、ヨーロッパ南ヨーロッパ)に分類される場合もある[16]。また、地理的にトルコとも関係が深い地域であった。

北部は海岸線に沿って石灰岩のキレニア山脈があり、首都ニコシアを中心とする中央部が平坦地となっている。南部は大部分が火成岩のトゥロードス山地で、海岸線に沿って狭隘な平地がある。北東にカルパス半島が伸びる。

島の最高峰は南部のオリンポス山(英語版)で、標高は1951m。冬は雪も降り、スキーができる。
気候詳細は「キプロスの気候(英語版)」を参照

地中海性気候で、夏は暑く、乾燥する。主に11月から3月に降雨があり、そこから農業に適している面を持つ。高山地帯は島の他の地域よりも涼しく湿っている点が特徴となっている。「キプロスの気候変動(英語版)」も参照
地域区分詳細は「キプロスの行政区画」を参照

キプロスの地区(επαρχ?α / kaza)慣用名ギリシャ語名トルコ語名
ファマグスタ
(Famagusta)アモホストス
(Αμμ?χωστο?)マウサ
(Ma?usa)
キレニア
(Kyrenia)ケリニア
(Κερ?νεια)ギルネ
(Girne)
ラルナカ
(Larnaca)ラルナカ
(Λ?ρνακα)ラルナカ
(Larnaka)
ニコシア
(Nicosia)レフコシア
(Λευκωσ?α)レフコシャ
(Lefko?a)
リマソール
(Limassol)レメソス
(Λεμεσ??)レイモスン
(Leymosun)
パフォス
(Paphos)パフォス
(Π?φο?)バフ
(Baf)

キプロス島は、事実上2つの国家に分断されており、南部がキプロス共和国政府(ギリシャ系住民)が支配する地域、北部が北キプロス・トルコ共和国としてトルコ系住民が分離独立を主張している地域となっている。

分断以前のキプロス島は、行政的に右記の6地区(ギリシア語: επαρχ?α / トルコ語: kaza)に分かれていた。ここでいう地区は「」とも訳されるが、元来はキプロス州におかれた「」にあたる行政区画である。

分断後はキプロス島全6地区のうち、ファマグスタ地区、キレニア地区の全域と、ラルナカ地区およびニコシア地区の一部が北キプロス領となっており、とくに首都ニコシアは町の中心で分断されている。なお、ファマグスタは現在の北キプロスではトルコ語で戦士を意味するガーズィーの称号を冠してガーズィマウサ (Gazima?usa) と呼ばれている。

キプロスは、旧イギリス植民地であり、2つの公用語でそれぞれ異なった地名を持つことから、地名は英語名で呼ばれることが一般的であり、以下の地図もそのように記されている。しかし、南キプロスではギリシャ語の地名、北キプロスではトルコ語の地名に言い換えられることも多い。

以下の地図の斜線部分は独立以後も残されているイギリスの主権基地領域(アクロティリおよびデケリア)で、この領域にはキプロス共和国政府の主権は及ばず、イギリス主権の下に置かれているイギリスの海外領土である。また、灰色部分は南北の衝突を抑止するため国連の引いた緩衝地帯(通称グリーンライン)である。「欧州連合加盟国の特別領域#キプロス島のうちキプロス共和国実効統治域外」も参照
経済首都ニコシア詳細は「キプロスの経済(英語版、ギリシア語版)」を参照

1980年代から1990年代に大きな経済成長を遂げたが、観光産業に依存していたためヨーロッパでの景気の変動に弱かった。[17]。2005年前後時点において、キプロスは4%前後の経済成長、3%台後半の低い失業率と良好な経済状況を維持していた[17]。しかし、2010年以降は経済的・文化的に関係の深いギリシャ金融危機により銀行が膨大な損失を被ったため、巻き添えを食らう形で金融危機に陥った。しかし、現在は天然ガスの発掘、Citizenshipプログラムによりロシア、EU諸国、中東、アフリカ、中国などから多くの富裕層が集まる場所となっており著しい経済成長をしている。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:131 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef