キプロス
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4世紀以降にローマ帝国キリスト教化する中でキプロスもキリスト教が徐々に普及、395年にローマ帝国が東西に分裂後は東ローマ帝国の管轄下となった。7世紀になりアラブ人の侵攻が度重なり、キプロス島は一時的にウマイヤ朝の支配下となる。688年、東ローマ帝国皇帝ユスティニアノス2世とウマイヤ朝カリフ アブドゥルマリクとの間で、キプロスを共同統治することに合意。以後、約300年にわたり東ローマ帝国とアラブの共同主権が行使される。9世紀になり国力を回復した東ローマ帝国は、10世紀末から11世紀初頭の3人の皇帝ニケフォロス2世フォカスヨハネス1世ツィミスケスバシレイオス2世ブルガロクトノスの下で、北シリア・南イタリア・バルカン半島全土を征服して、東ローマ帝国は東地中海の大帝国として復活。その過程で965年にキプロスを再征服した東ローマ帝国が同島の主権を完全に回復した。以後、12世紀末まで東ローマ帝国の支配下に置かれる。
中世イングランドリチャード1世

1185年、ヨハネス2世コムネノス死去後の王位継承に不満を抱いた皇族イサキオス・コムネノス(英語版)がキプロスで叛乱を起こし、皇帝を僭称し同島を占拠してしまう。

1191年第3回十字軍の途上にキプロス島沖を航行していたイングランド王率いる船団の一部がキプロス島に漂着し、僭称帝により捕虜とされてしまう。これに対してイングランドリチャード1世(獅子心王)はキプロスをわずか5日で攻め落とし、以後キプロスの領有権はイギリス王に帰することになる。キプロス島はギリシャ正教会からカトリック教会の支配下となり、東地中海でのキリスト教国家の「基地」としての位置を約400年間果たすこととなる。1192年エルサレム王国の王位をモンフェラート侯コンラードに奪われたギー・ド・リュジニャンは、リチャード1世からキプロス島を譲渡され、以後300年間リュジニャン家がキプロス王位を継ぐことになる(キプロス王国)。1489年にリュジニャン家は王位継承者を欠いたことから断絶し、最後の王となったカテリーナ・コルネーロはキプロス王国をヴェネツィア共和国に譲渡した(ヴェネツィア領キプロス(ギリシア語版、英語版))。オスマン・ヴェネツィア戦争 (1570年 - 1573年)(英語版)では、1571年オスマン帝国がヴェネツィアからキプロスを奪い、キプロス州(トルコ語版、英語版)(オスマン領キプロス)を置いた。
近世・近代

エジプトの植民地化を進めていたイギリスはこの島の戦略的価値に目をつけ、1878年露土戦争後のベルリン会議でオスマン側に便宜を図った代償にキプロス島の統治権を獲得し、イギリス領キプロスが成立した。さらに1914年勃発した第一次世界大戦でオスマン帝国がイギリスと敵対すると、同年イギリスに一方的に併合された。そしてアメリカのキプロス鉱山会社がやってきた。

第二次世界大戦後、ギリシャ併合派、トルコ併合派による抗イギリス運動が高まったため、1960年にイギリスから独立。翌1961年イギリス連邦加盟。しかし1974年にギリシャ併合強硬派によるクーデターをきっかけにトルコ軍が軍事介入して北キプロスを占領し、さらにトルコ占領地域にトルコ系住民の大半、非占領地域にギリシャ系住民の大半が流入して民族的にも南北に分断された(詳しくは、キプロス紛争を参照)。

南北キプロスの間では国際連合の仲介により和平交渉が何度も行われ再統合が模索されているが、解決を見ていない(詳しくは、キプロス問題を参照)。

2004年EUに加盟。
キプロス問題キプロスの分断地図(青色部分は国連による緩衝地帯。緑色部分はイギリス軍主権基地領域)詳細は「キプロス紛争」を参照

キプロスは東ローマ帝国の支配下でギリシャ語を話す正教徒が大多数を占めるようになっていたが、オスマン帝国支配下で、トルコ語を話すムスリム(イスラム教徒)が流入し、トルコ系住民が全島人口の2割から3割程度を占めるまでになった。

イギリス統治下のキプロスではエーゲ海の島々と同じくギリシャに併合されるべきという要求(エノシス enosis)がギリシャ系住民の間で高まり、1948年にはギリシャの国王がキプロスはギリシャに併合されるべきとの声明を出し、1951年にはギリシャ系住民の97%がギリシャへの併合を希望していると報告された。一方のトルコ系住民の間ではキプロスを分割してギリシャとトルコにそれぞれ帰属させるべきとの主張(タクスィム taksim)がなされており、キプロスの帰属問題がイギリス、ギリシャ、トルコの3か国の間で協議された。その結果、中間案として1959年チューリッヒでキプロスの独立が3国間で合意された。

1960年、ギリシャ系独立派の穏健的な指導者であったキプロス正教会のマカリオス大主教を初代大統領としてキプロス共和国は独立を果たした。


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