キッコーマン
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1781年天明元年) - 後の野田醤油の基礎になる亀屋市郎兵衛、高梨兵左衛門、粕屋七郎右衛門(茂木一族)、茂木七左衛門、大塚弥五兵衛、杉崎市郎兵衛、竹本五郎兵衛の7家が成立、野田醤油仲間結成[9][10]。 後、茂木一族各家など醸造家が増えていく。

1814年文化11年) - 堀切紋次郎が流山で万上味醂(後のマンジョウ本みりん)を醸造[11]

1828年文政12年) - 高梨兵左衛門家、続いて茂木佐平治家が江戸幕府に醤油を献上し、幕府から御用醸造の命を受ける[12]

天保年間から安政年間にかけて茂木一族と高梨家による生産量が増えていく[13]

1873年明治6年) - 茂木佐平治家がオーストリアで開かれたウィーン万国博覧会に亀甲万印の醤油を出品し、名誉賞を取る。以降、博覧会や品評会などへの出品と受賞歴が重なっていく[14]

1887年(明治20年) - 高梨・茂木両家が野田醤油醸造組合を結成[8]

1900年(明治33年)

野田醤油醸造組合員によって野田商誘銀行設立(商誘は醤油にかけたもの)。後に千葉銀行の前身の一つとなる。

野田人車鉄道敷設。


1911年(明治44年) - 県営軽便鉄道野田線に出資(現在の東武野田線)。

1917年大正6年)

12月7日 - 高梨家と茂木一族七家が野田醤油株式会社を設立[15]

堀切家が野田醤油の出資により万上味醂株式会社を設立[15]


1918年(大正7年) - 野田醤油株式会社と万上味醂株式会社が営業を開始[15]

1922年(大正11年) - 野田醤油労働争議勃発。その後1928年まで大規模な労働争議が断続的に続く。

1925年(大正14年)

4月 - 野田醤油醸造株式会社が万上味醂株式会社と日本醤油株式会社を合併[15]

しょうゆ2L瓶の発売を開始[15]


1927年昭和2年) - 東京市場で商標をキッコーマンに統一[15]

1940年(昭和15年) - 全国で商標をキッコーマンに統一[15]

1949年(昭和24年)5月 - 東京証券取引所上場[15]

1952年(昭和27年)9月 - 合成清酒「四方春」発売。

1954年(昭和29年)8月 - 万上焼酎2合びんを発売。

1957年(昭和32年)6月 - 米国サンフランシスコにキッコーマン・インターナショナル社(現 キッコーマン・セールスUSA社)を設立する[15]。それまでは在留日本人や日系人を対象にした輸出から、現地人需要の喚起を意識して本格的にアメリカへ進出。

1961年(昭和36年)

吉幸食品工業株式会社(現:日本デルモンテ株式会社)、盛進製薬株式会社を設立[15]

しょうゆ卓上びんを発売[15]


1962年(昭和37年)

利根飲料株式会社(後の利根コカ・コーラボトリング株式会社)を設立[15]

勝沼洋酒株式会社(現:マンズワイン株式会社)を設立[15]


1963年(昭和38年) - 「デルモンテ」ブランドのトマトケチャップトマトジュースを発売[15]

1964年(昭和39年)

マンズワイン発売[16]

10月19日 - キッコーマン醤油株式会社に商号変更[16]


1965年(昭和40年) - 減塩しょうゆ開発。東京大学医学部の要請を受け、通常のしょうゆに比べて塩分を大幅に減らしたしょうゆを1965年に「保健しょうゆ」として発売。1967年に「減塩しょうゆ」に商品名を変更[17]

1967年(昭和42年) - 米国カリフォルニア州オークランドの製塩会社と業務提携。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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