キアヌ・リーブス
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キアヌは「あなたはキャラクターを演じるだけでなく、そこにアクションを盛り込んだ。屈強なキャラクターにもあなたが演じると心が感じられる」と身振り手振りを交えながら、終始嬉しそうに大はしゃぎの様子だった[8]

日本文化好きでも知られ[9]帝国ホテルが大のお気に入りである。映画『JM』では「洗濯を頼みたい。帝国ホテルで頼むような洗濯だ。東京の……」というアドリブを入れた。ラーメンが大好きで、中でも味噌ラーメンがお気に入りである。来日した時には必ずラーメン屋に立ち寄り、ハシゴすることもしばしばで贔屓の店まである。

キアヌは残りの人生で最も聴きたい曲はどれか?の質問に対し、何度か呻きながら首を振った後、イアン・カーティスが亡くなった翌月にリリースされたジョイ・ディヴィジョンの“Love Will Tear Us Apart”を挙げている。

オートバイ好きでレースに出場することも多く[3]ノートン製のバイク(コマンド750、コマンド850)2台の他、ハーレー・ダヴィッドソン、オフロード用のバイクなど複数台のバイクを所有しており、バイクに乗る姿が目撃されている。一方で転倒や事故も数回起こしており、特に『マトリックス』のクランクイン前に首や脊椎を痛める大事故を起こし、手術が必要なほどの重傷を負った。術後、首にギプスをしたまま映画のアクションシーンの訓練をしている姿が『マトリックス』の特典映像にも見られた。車は黒いポルシェを所有しているが、友人と出かける時に乗る程度で埃をかぶっていることが多いらしい。『マトリックス』三部作が完結したあと、「映画の成功は特殊効果チームのおかげ」と言い、映画に関わったクリエーターたち全員にハーレー・ダヴィッドソンをプレゼントしたという逸話もある。2015年7月26日に開催された鈴鹿8時間耐久ロードレースのために来日し、決勝日前に自身がプロデュースしている『Arch Motorcycle(英語版)』を繰ってサーキットを疾走した[10]。レース当日にも前日同様に自らのマシンでサーキットを走った上、8耐レースのスターターとしてスターティングフラッグを振り、鈴鹿サーキット内でトークショーも開催した[11]

映画『リトル・ブッダ』では、ゴータマ・シッダールタ役を演じたが、キアヌ本人は仏教に関心はあるとしつつ無宗教であると述べている[12][13]
生い立ち

父はハワイ出身のアメリカ地質学者[14]、父方の祖母は中国系ハワイアンであり[15]、キアヌは中国美術中華料理などに囲まれながら育ったという[16]。母はイングランド人の元ダンサー、デザイナー。キアヌという名前はハワイ語で「山からの涼風」もしくは「絶えず神の意識に集中する者」という意味を持ち、叔父のヘンリー・キアヌ・リーブスにちなんで付けられた。

妹のキムは、白血病のためハワイのコンドミニアムで医師による24時間体制の看護の下で療養生活を送っていたが、現在は寛解している[17]。また、キムのほかに異父妹カリーナ・ミラー(1976年、トロント生まれ)と、異母妹エマ・ローズ・リーブス(1980年、ハワイ生まれ)がいる。

幼少期は世界各地を転々としながら、母親の再婚相手と共に生活するという不安定なものであった。1966年の離婚後、母は衣装デザイナーの職に就き、最初はオーストラリア、続いてニューヨークシティへと移り住んだ。そこで母はハリウッドブロードウェーの監督のポール・アーロンと出会い、再婚する。しかし、家族で移り住んだ先のトロントで1971年に離婚した。1976年に実業家のロバート・ミラーと再々婚するも、1980年に離婚する。4番目の夫である美容師のジャック・ボンドとは、1994年に結婚生活の終わりを迎えている。両親に代わって、祖父母とナニーベビーシッターホームスクールの先生)が、キアヌとキムの面倒を見た。

キアヌは主にトロントで育ったが、5年間に4つの高校に通っている。そのうちの一校Etobicoke School of the Artsでは退学処分を受けている。その理由について彼は「だって、僕はだらしなくて落ち着かない生徒だったからね。少々やんちゃで、嘘をつき過ぎた。端的に言って素行のいい生徒じゃなかった。恐らくみんなの足を引っ張る存在だったんだね」と語っている。キアヌはアイスホッケーにおいて優れた能力を発揮する一方、失読症により学業に苦労したが、シェークスピアなどの戯曲に惹かれ演劇に強い関心を持つようになった[18]。通った高校のうちのもう一校De La Salle College "Oaklands"では、ゴールテンダーとして活躍した。仲間は彼を「The Wall(壁)」と呼び、投票で最優秀選手に選出した。当時のキアヌにとっては、冬季オリンピックアイスホッケーカナダ代表の選手になることが一番の夢であったが、怪我によりその道は断たれた。その後、俳優業と並行して通えるフリースクールに入るも中退する。結局、高校教育を修了することはなかった。
人柄

アメリカの一部メディアで、キアヌの性的指向について「ゲイバイセクシャル」、「ゲフィン・レコードの社長と同性結婚」などと報道されたことがある。しかし、この時期の前後に『マイ・プライベート・アイダホ』という同性愛を描いた映画に出演したことが、これらの記事にも影響を与えた可能性があるともいわれる。それらの報道に対しては、否定も肯定もせずノーコメントを通し、本人は「ここで僕が『疑惑』を否定したら、それが(ゲイやバイセクシュアルが)悪いことのようじゃないか」と語っている。

「聖人」と呼ばれるほどの人格者で知られており、2010年代後半になるとキアヌの聖人エピソードがインターネット・ミームとまでなっている[19][20]。その「聖人」ぶりから、結果的にどの役を演じてもキアヌ本人の人柄が落とし込まれるようになっている[21]

代表作としても知られる映画「マトリックス」で得た報酬の70%をガン研究に寄付していたことからも、キアヌの人柄がうかがえる。
チャリティ

ギャラの大部分は小児科病院や治療の研究などへ寄付している[22][23]
出演
映画

公開年邦題
原題役名備考吹き替え
1985Letting Go学生テレビ映画N/A
One Step Awayロン・ペトリー短編映画N/A
1986
栄光のエンブレム
Youngbloodヒーヴァー
Act of Vengeanceブディ・マーティンテレビ映画N/A
リンゼイ・ワグナーのヤング・アゲイン
Young Again17歳の時のマイク・ライニー
ドリーム・トゥ・ビリーヴ
Flyingトミー・ワーニック別題『栄光へのフィニッシュ』
ザ・ブラザーフッド
Brotherhood of Justiceデレクテレビ映画
別題『愚か者』
リバース・エッジ
River's Edgeマット
アンダー・ブルー
Under the Influenceエディ・タルボットテレビ映画
おもちゃの国のクリスマス
Babes in Toylandジャック・フェントン / ジャック・ニンブル堀内賢雄
1988ミッドナイトをぶっとばせ!
The Night Beforeウィンストン・コネリー
パーマネント・レコード
Permanent Recordクリス・タウンセンド
旅立ちの季節/プリンス・オブ・ペンシルバニア
The Prince of Pennsylvaniaルパート・マーシェッタ
危険な関係


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