ガーター騎士団
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勲章一式は受章者が死亡すると王室へ返還するしきたりであるが、王室の許可を得れば星章や大綬章などは複製を自費で作成して所有することができ、遺族がそれを相続することも出来る[4]。従って、ガーター勲章の実物が市場に出回ることは有り得ない筈であるが、外国の君主等に対して授与された勲章の中には、革命やクーデターのような政変による混乱により流出し、回収できなかったものが存在するとも言われている[6]。1976年(昭和51年)、その真正品とされるものが日本百貨店によって売り出されて問題になった[7]。英国王室からの抗議で販売は中止され、当該勲章の真贋を含め、そのような事態になった経緯について調査が行なわれた[8]。@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .mod-gallery{width:100%!important}}.mw-parser-output .mod-gallery{display:table}.mw-parser-output .mod-gallery-default{background:transparent;margin-top:.3em}.mw-parser-output .mod-gallery-center{margin-left:auto;margin-right:auto}.mw-parser-output .mod-gallery-left{float:left;margin-right:1em}.mw-parser-output .mod-gallery-right{float:right}.mw-parser-output .mod-gallery-none{float:none}.mw-parser-output .mod-gallery-collapsible{width:100%}.mw-parser-output .mod-gallery .title,.mw-parser-output .mod-gallery .main,.mw-parser-output .mod-gallery .footer{display:table-row}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div{display:table-cell;text-align:center;font-weight:bold}.mw-parser-output .mod-gallery .main>div{display:table-cell}.mw-parser-output .mod-gallery .gallery{line-height:1.35em}.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div{display:table-cell;text-align:right;font-size:80%;line-height:1em}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div *,.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div *{overflow:visible}.mw-parser-output .mod-gallery .gallerybox img{background:none!important}.mw-parser-output .mod-gallery .bordered-images .thumb img{outline:solid #eaecf0 1px;border:none}.mw-parser-output .mod-gallery .whitebg .thumb{background:#fff!important}

大綬と星章を付けたイング男爵ピーター・イング元帥(2007年9月22日撮影)

大綬をかけ、ガーターを左腕に佩用した英国女王ヴィクトリア女王の肖像画。

大綬をかけ、星章を佩用した英国女王エリザベス2世

ガーター騎士団正装用のマントと羽飾り帽子

騎士団の儀式
ガーターセレモニー(叙任)2008年6月16日セント・ジョージ・チャペルまで行進するガーター騎士団の正装姿の女王エリザベス2世

1948年以来、6月にウィンザー城で行われる例会は、ガーターセレモニー(Garter Ceremony)、またガーター・サーヴィス(Garter Service)と呼ばれている。その年に新たに叙任される勲爵士があれば、ウィンザー城の「玉座の間」において叙任式が開かれる[9][10]。儀式には紋章院総裁たるノーフォーク公以下の紋章官たちも出席し、ガーター主席紋章官(Garter Principal King of Arms)が中心となって行事は行われる[11]

新たに勲爵士となる者は、既に勲爵士となっている2名から紹介を受けるのが慣例となっている。例えば、1954年アンソニー・イーデン外相(当時。翌年に首相)が叙された際にはウィンストン・チャーチル首相(当時。1953年叙勲)と初代モントゴメリー子爵バーナード・モントゴメリー(1946年叙勲)が、1992年に元首相のエドワード・ヒースが叙された際には第6代キャリントン男爵ピーター・キャリントン(1985年叙勲。元外相)とキャラハン男爵ジェームズ・キャラハン(1987年叙勲。元首相)がそれぞれ紹介役をつとめた[12]

叙任式ではまず、ガーター主席紋章官とアッシャーが騎士団員を連れて「玉座の間」に入る[10]。続いて、新勲爵士が2名の騎士に伴われて「玉座の間」に入室する[10]。新勲爵士は君主の前に歩み出て、君主から小姓に渡されたガーターを小姓が勲爵士の左膝(女性の場合は左腕)に着け、次いで君主自ら大綬章を掛け、星章を左胸に着ける。そして紹介者がガーターローブをかぶせ、最後に頸飾を掛け君主と握手をして正式にガーター勲爵士となる[12]

叙任式が終わると、正装姿の騎士団員たちが、新しく叙された者を先頭にセント・ジョージ・チャペルまで行進する。隊列は、ウィンザー城代(英語版)を先頭に、「ウィンザー城代、ミリタリー・ナイト・オブ・ウィンザー(英語版)、紋章官、騎士団員、王族、騎士団員役職者、国王とその配偶者、ヨーマン・オブ・ザ・ガード」の順で並ぶ[13]。この行進は公開であり、観光客も見物することができる[14]
バナー、ヘルメット、プレートウィンザー城の聖ジョージ礼拝堂に掲げられたガーター勲爵士のバナー。右後方に、皇室の菊花紋章が見える。

城内の聖ジョージ礼拝堂にはガーター勲爵士のバナーが掲げられ、騎士の世界を象徴するように剣とクレスト(羽根飾り)[注釈 1]を着けたヘルメット、プレートと呼ばれる勲爵士の紋章と名前が刻まれたものが飾られている[16][16]。これらは勲爵士が死去すると翌年の聖ジョージの日(4月23日)に追悼式が行われてプレート以外は取り外される[17]

死亡以外でも反逆した臣下や敵国となった国の君主は勲爵士の地位を剥奪され、バナーが撤去される。反逆した臣下の剥奪例は古くから存在し、エリザベス朝期には第8代ノーサンバーランド伯爵ヘンリー・パーシー(英語版)や第4代ノーフォーク公爵トマス・ハワードなどの騎士団員がその座を剥奪されている[18]

20世紀に入り、敵国君主のバナー撤去が行われるようになった(後述)。
歴史
ガーター騎士団の誕生ソールズベリー伯爵夫人ジョアンが落としたガーターをエドワード3世が拾い上げたという逸話を描いた絵画(1901年アルバート・シュヴァリエ・タイラー画)

ガーター勲章の母体であるガーター騎士団の設立時期については1344年1月にエドワード3世ウィンザー円卓を使用した饗宴を催した際に「アーサー王円卓の騎士」の故事に基づいてフランスとの百年戦争への団結を深めたという出来事を発端とする1344年説と、1348年8月にエドワード3世が、自身と長男のエドワード黒太子および24名の騎士によって騎士団を編成し、ウインザー城に召集した出来事を設立と見なす1348年説があるが、近年では1348年説が歴史学者の間で有力視されているという[19][20]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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