ガンビア
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人口密度238.8[3]人/km2

GDP(自国通貨表示)
合計(2018年)804億4600万[4]ダラシ

GDP(MER
合計(2018年)16億6200万[4]ドル(167位
1人あたり729.035[4]ドル

GDP(PPP
合計(2018年)50億3800万[4]ドル(165位
1人あたり2209.621[4]ドル

独立
 - 日付イギリスから
1965年2月18日
通貨ダラシGMD
時間帯UTC(0) (DST:なし)
ISO 3166-1GM / GMB
ccTLD.gm
国際電話番号220

ガンビア共和国(ガンビアきょうわこく、英語: Republic of the Gambia)、通称ガンビアは、西アフリカ西岸に位置する共和制国家イギリス連邦加盟国であり(2018年に復帰[5])、西はガンビア川の河口がある北大西洋に面している。陸地部分の国境はすべてセネガルと接している。言い換えれば、海に面した西側以外でセネガルに取り囲まれている。首都はバンジュールで、最大の都市はセレクンダである。
国名

公用語である英語では Republic of the Gambia。通称 Gambia [??ambi?] ( 音声ファイル)。

国名はガンビア川に由来する。英語では正称・通称ともに国名の前に定冠詞(The)を付けるが、これは15世紀にこの地にポルトガル人が入植したときに、川の名前を「Rio Gambia」と呼び、それを英語に直訳した「The Gambia river」に由来し、長年同地域を「The Gambia」と呼ぶのが一般的であったことからである。ガンビアがイギリスから独立した1965年ごろに、非常によく似た名前を持つザンビアも独立をしたことから、混同を避けるために定冠詞をつけた状態を正式名称とした[6]。英称で定冠詞(The)をつける国は他にバハマスーダンコンゴ民主共和国コンゴ共和国フィリピンオランダアメリカなどがある。

2015年12月10日に当時の大統領ヤヒヤ・ジャメによってガンビア・イスラム共和国(Islamic Republic of the Gambia)に変更されたが[7]、ジャメの後任として大統領に就任したアダマ・バロウ2017年1月28日に「イスラム教徒は全体の90%であり、他にキリスト教徒アニミズム(土着宗教)がいるため、イスラム共和国ではない」と述べ、国名を元に戻した[8][9]

日本語の表記は、ガンビア共和国。通称ガンビア。
歴史詳細は「ガンビアの歴史(英語版)」を参照
独立以前

ガンビアの地域が初めて歴史に登場するのは、9、10世紀のアラブの商人の記録である。13世紀にはマリ帝国の勢力圏に入った。13世紀にマリンケ族の商人がイスラム教を広め、18世紀まで強い影響力を持っていた。1446年にはポルトガル人ガンビア川下流域に到達し、数十年後には当時まだガンビア川流域に影響を及ぼしていた内陸のマリ帝国と接触している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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