ガンジス川
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なお、ここまでの流路はガンジス川の本流とされているバギーラティー川よりも、支流のアラクナンダー川の方が長いものの、ヒンドゥー教文化や神話においては、バギーラティー川こそが真のガンジスの源流であると見なされている[5][6]

ガンガーはこの後狭いヒマラヤの峡谷を約250km南下し、リシケーシュで断崖から河谷へと出る。さらにその約25km南にあるハリドワールで大平原へと出る[4]。ここまでがガンジス川の上流部である。なお、ハリドワールにはガンジス運河の頭首工があり、運河に豊富な水を供給している。
中流域茶色がガンジス川の流域、紫色がブラフマプトラ川の流域、緑色がメグナ川の流域。

ここからは河口部まで急流もなく、北インドの平原地帯(ガンジス平野の名がある。ヒンドゥスターン平野の一部)を流れる。ヤムナー川とガンジス川の間の河間平野はドアーブ(2つの川)地方と呼ばれる穀倉地帯となっている[7]

ハリドワールからはガンジス運河(英語版)が開削され、カーンプルで再びガンジス川に合流するまでドアーブ地方(英語版)を貫流し、この地方に灌漑用水をもたらしている。アラーハーバードで最大の支流ヤムナー川と合流する。ヤムナー川はガンジス川よりも流量が大きく、合流点の流量2950 (m3/s)[8] のうち58.5%はヤムナー川からの水が占めている[9]。イラーハーバードでガンジス川は東へと向きを変え、北のヒマラヤ山脈や南のヴィンディヤ山脈からさらに多くの河川を集める。特に北のヒマラヤから流れ込むうちでも、ネパール西部から流れ込むガーグラー川(カルナリ川)、ネパール中部からのカリ・ガンダキ川(英語版)(???? ???)、そしてネパール東部からのコシ川(英語版)は特に大きな支流であり、ガンジス本流の流量の70%はこの3支流からの水であるとされる[10]

ガーグラー川はガンジス本流に注ぎ込む中では最大の支流であり、流量は2,990 (m3/s)にのぼる。さらに南から流れ込むソーン川(英語版)から1,000 (m3/s)、カリ・ガンダキ川から1,654 (m3/s)、コシ川から2,166 (m3/s)が流れ込む。コシ川はガーグラー川とヤムナー川に次いで3番目に大きな支流である。このほかにも中流域には網の目のように支流が走っており、さらにその支流から運河が各地に建設されて灌漑に利用されているが、流路が安定しているために周囲の交通網の整備が容易であり、また流量の季節変動が大きく渇水期には大きく流量が減少する上に、周囲での灌漑の進展によってさらに流量が減少したことや開発によって河道にシルトが堆積したことなどから交通路としての利用は鉄道や道路の整備によって少なくなった。パトナを過ぎ、ビハール州北東部にてデカン高原の北東端にあたり、そこからは南東へと流れを変える。ここまでの約2200kmがガンジス川の中流域であり、これより下流の約600kmは下流域とされる。
下流域ガンジス川デルタは、世界最大の総面積100万haのマングローブ大森林地帯である。

下流域ではチベット高原からアッサム州を流れてきたブラフマプトラ川と合流し、さらにその下流でバングラデシュ北東部を流れるメグナ川と合流する。また多くの分流を作り、バングラデシュへ入り、ベンガル湾へ流れ込む。下流部ではブラフマプトラ川、メグナ川および分流により広大な三角州地帯を形成する。

分流のうち代表的なものには、コルカタ付近を流れるフーグリー川バングラデシュに流れるポッダ川(英語版)がある。流量が最も多いのはポッダ川であり、現在ではこの川が本流となっている[11]。フーグリー川はガンジスからの水のほか、西のジャールカンド州から流れてきた最大支流ダーモーダル川をもあわせ[12]サーガル島付近でベンガル湾へと注ぎこむ。16世紀まではフーグリー川がガンジスの本流であった[13]。ガンジス川デルタは、ほとんどが標高数mしかない低地であり、自然堤防をなす河川間の小高い土地でも標高50mは越えない。ガンジス川の本流・支流がデルタに運んでくる土砂は毎年25億トンにものぼる[14]。下流域においては勾配が少ないことと3大河川が合流することによる流量の巨大さ、さらに主にブラフマプトラ川によるチベット高原からの膨大な量の土砂の堆積によって流路が安定せず、そのため鉄道や道路の整備が困難であるため、この地域ではガンジス本支流の水運が重要な役割を果たしている。バングラデシュ国内だけで河川水路は3100kmにのぼり、国内の物資、人員の移動の4分の3を占めるまでになっている。また、流量の変動が著しいことと勾配がほとんどないこと、流路の不安定さから特に下流域においては洪水が多発し、バングラデシュの問題の1つとなっている。

しかし、ガンジス川の最下流部では少し様相が変わって、流路は比較的安定している。氷河期にはベンガル湾の水位は現在より135m以上低かったとされており、この関係で、当時はその低くなっていた海面に各支流が注ぎ込んでいたため、現在の海岸部近くでは、河道は深くなっている[15]。このような理由で、河道が現在の海水面よりも深く刻み込まれているため、デルタの上流部に比べれば河道変更は起こりにくい。ただし、今度はガンジス川下流デルタは低平であるため海から満潮時には潮汐が起こることがあり、ガンジス・ブラフマプトラ川合流点から上流30kmあたりの地点までは潮汐が観測できる。特に海岸部近くでは潮汐の影響を強く受け、乾季には塩害が起こることも多い。また、サイクロン時には高潮の被害もしばしば受ける。なお、ベンガル湾に近いデルタ地帯は世界遺産に登録されているシュンドルボン(ベンガル語で「美しい森」の意。)として知られる世界最大級のマングローブ林で、ベンガルトラの生息地の1つである。
下流の河道変遷

ガンジスデルタの多くの大規模な河川は合流や分岐を繰り返し、複雑な水路のネットワークを形成している。二大河川であるガンジスとブラマプトラを中心に両河川の合流点以前にも以後にも大きな支流が分流し、また合流する。現在の水路網は、長い時間の中で常に変動していた。重要なものだけでも以下に示すような変動が起こっている。

12世紀後半まではガンジス川の本流はフーグリー川であり、ポッダ川は小さく細い支流にすぎなかった。ただしフーグリー川の流路も現代のフーグリー川ではなく、 アディ・ガンガー川(英語版)を通って海に注いでいた。

12世紀から16世紀の間には、フーグリー川とポッダ川にはほぼ均等に水が流れ込んでいた。16世紀以降、ポッダ川がフーグリー川に代わってガンジス川の本流となった[13]。これはフーグリー川がシルトの堆積によって河道が高くなり、その結果本流が南東へと移ったためと考えられている。18世紀末には完全に、ポッダ川がガンジス川の本流となっていた[16]。 この結果、ガンジスの本流とブラフマプトラ川およびメグナ川が合流するようになり、おおまかに現在の流路が成立した。それまではガンジス本流とブラフマプトラ川、そしてメグナ川は、それぞれ単独でベンガル湾へと注いでいた。ガンジス川とメグナ川の合流点は、約150年前に成立した[17]

また、18世紀の終わりごろ、ブラフマプトラ川下流のコースが劇的に変わり、ガンジス川も大きく変わった。1787年に北からポッダ川に注ぐ支流だったティースタ川(英語版)に大洪水が起こった。これによってティースタ川は東のブラフマプトラ川本流へと注ぎこむことになり、その結果ブラマプトラ本流は逆に西へと大きく遷り、ポッダ川へと合流するようになった。

この新しい本流はジャムナ川と呼ばれ、現在でもブラマプトラの本流となっている。この洪水以前のブラフマプトラの本流はマイメンシン市を通過しメグナ川と合流するもので、現在の本流より100kmほど東を走っているものだった。現在、この流路は旧ブラフマプトラ川(英語版)(Old Brahmaputra)と呼ばれており、いまだ大支流の一つとなっている[18]。Langalbandhにある旧ブラフマプトラ川とメグナ川の合流点はいまだにヒンズー教徒の聖地となっている。合流点の近くにある、Wari-Bateshwar遺跡は、この地方の歴史初期の重要な遺跡である[13]
支流

下流より記載

メグナ川

ブラフマプトラ川(上流部はヤルンツァンポ川

ラサ川


フーグリー川(分流)

ダーモーダル川


コシ川(英語版)

バグマティ川


ガーグラー川

ヤムナー川

チャンバル川


ガンジス川の生物


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