ガメラ
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なお、大映の倒産を知った湯浅憲明は悔しさのあまり残されていたガメラや敵怪獣の着ぐるみや造形物などを自ら壊したというエピソードが残されている[14][15]

なお、大映の経済状況から上記の通り敵怪獣のデザイン(操演に必要な人数を減らすなど)や能力などのアイディアが制限され、予算ゆえにSFXも多用できないために子供向けにもかかわらず残酷な近接戦闘を増やし、『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』以降は十分な宣伝費が確保できないため、そのような状況でも可能な限り注目度を高めるためにバイラス以降の敵怪獣の名前をすべて一般公募にした[注釈 24]。一方で、ガメラの飛行方法として回転ジェットではなく両脚からのジェット噴射による飛行方法も経費削減の結果として生まれたとされる[14]。また、大映が倒産する前の最後の作品であった『ガメラ対深海怪獣ジグラ』は配給が日活との共同で行われたが、このような傾向は現在に至るまで続いている[注釈 25][38]
徳間グループ時代「GAMERA1999」、「ガメラ4 真実」、「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」、および「水曜どうでしょう」も参照

徳間書店グループ下の新会社として再建された大映は、当時の徳間グループによるメディアミックス戦略の一環として『ゴジラ』に対抗しうる特撮映画を制作することを検討する。当初は「大魔神」または「妖怪シリーズ」の復活を検討していたが、人気や知名度や予算の都合上で難しく[注釈 26][9][46]、その結果、前述した通りの人気を持っていたガメラに着目し、新作の制作を決定した。

1980年に9年ぶりの新作として公開された『宇宙怪獣ガメラ』は新規の特撮シーンが非常に少なく、怪獣の映像の大部分を過去作品のストック・フッテージの再利用であるが、これは大映の倒産による経済面の問題があったことと、『実相寺昭雄監督作品ウルトラマン』の成功の影響を受けたからだとされている[注釈 27][38]

平成三部作とは別に高橋二三は1994年の公開を目指した作品『地球大破滅(ハルマゲドン)- ガメラVS.不死鳥(フェニックス)』のプロットを作成しており、映像化には至らなかったが1995年に出版された小説『ガメラ対不死鳥』の原案となった[49][50]

こうして制作された新たな『ガメラ 大怪獣空中決戦』は、それまでの怪獣映画にはないリアリティを追求した脚本と大胆にCGを導入した映像が話題を呼び、当時の「ゴジラシリーズ」と比較しても半分以下[注釈 28]という限られた予算と東宝洋画系という限られた上映館数、阪神・淡路大震災の影響を受けた側面もあって大ヒットには至らなかったものの、各方面から高い評価を受けた[注釈 29][46]。これにより、往年のファンだけでなく新たなファンの獲得にも成功し、引き続き製作された2作品と合わせて後に「平成三部作」と呼ばれ、高い人気を得るに至った。また、すでにヒットメーカーとして知られていた金子修介(本編)と伊藤和典(脚本)だけでなく、特撮や造形などを担当した樋口真嗣品田冬樹原口智生の知名度も大きく上がった。また、この三部作は以降の特撮界全体に多大な影響を与えただけでなく、後年の『小さき勇者たち?ガメラ?』および東映の『デジモンテイマーズ』と円谷プロダクションの『ウルトラマンティガ』は『ガメラ 大怪獣空中決戦』の最初期の構想が再利用されて制作された[9]

なお、低年齢層も視聴するゴジラシリーズ他の一般的な日本製怪獣・特撮映画と比較すると、「(効果音付きで)人が食べられる」「一般市民が襲われて多量の出血をともなって死亡する」「ミイラ化した死体が描写される」など残酷なシーンが見受けられるが、これは監督の金子が本シリーズの対象年齢を「小学校高学年辺り」としていることによる。

また、この時代はスタジオジブリも共に徳間書店のプロパティであったため、配給面での影響を受けたり、『巨神兵東京に現わる』では『ガメラ 大怪獣空中決戦』で使用された東京タワーの造形物を再利用することも企図されており、結果的には『巨神兵東京に現わる』の公開時にいくつかの劇場で東京タワーのモデルが展示されたこともあった[9]

しかし、三部作全体の興行成績は決して優れていたわけではなく[注釈 30]、また『ガメラ3 邪神覚醒』にて人間の犠牲者を出し過ぎたことと、金子らによる続編の構想に難点が存在し[注釈 31][注釈 32]、徳間書店による平成シリーズは打ち切りとなり[注釈 33][46]、徳間書店の経営難と徳間康快の死去をもって大映の各プロパティ角川書店に売却され、2度目の著作権譲渡を迎えた[9][36][14]
角川映画(KADOKAWA)時代「ウルトラマンマックス」および「巨神兵東京に現わる」も参照ガメラがマスコットとして採用されている調布市[57]にある角川大映スタジオ

平成三部作の終了後、ガメラシリーズはしばらく休眠期に入ったが、ゴジラシリーズが2004年をもってひとまずシリーズの完結を迎えたことで、テレビ特撮番組からのスピンオフではない純粋な「特撮(怪獣)映画」の新作が観られなくなることを危惧したファンから、再びガメラシリーズの復活を求める声が高まった。

大映自体も2002年に角川書店に営業権が譲渡され、その営業権をもとに新たに株式会社角川大映映画が設立された。角川大映は後に角川映画に商号を変更し、ガメラだけでなく「大魔神」や「妖怪シリーズ」の復活も考慮された[9]。角川側は商号が変更された直後に『ゴジラvsガメラ』を東宝に対して提案したが、両シリーズのクロスオーバーは実現しなかった[注釈 34][41][42]。同社は平成三部作の路線からの脱却と原点回帰を目指し、「ガメラを子供たちに返す」というモットーの下で、徳間時代とは違った形でのガメラ復活を検討する。その結果、『ゴジラ FINAL WARS』を経て東宝がゴジラ映画の製作を休止したことを受けて[14][38]2006年には新作ガメラ映画『小さき勇者たち?ガメラ?』を製作・上映した[注釈 35]。しかし、本作は本来の意図である子供や女性の観客からは好評を得たが[注釈 36]、平成三部作の方向性を好む客層には支持されずに興行的に失敗となり[注釈 37]、本作の続編だけでなく、後述の通り、同時期に進行していたアニメ作品などの製作が中止されるなど、シリーズは再度の打ち切りに直面して新たな休眠に入った[注釈 38][9]

2015年10月、ガメラ生誕50周年記念としてウェブサイトが公開され[59]YouTubeにて記念映像『GAMERA』が公開された[60]


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