ガメラ
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こうして制作された新たな『ガメラ 大怪獣空中決戦』は、それまでの怪獣映画にはないリアリティを追求した脚本と大胆にCGを導入した映像が話題を呼び、当時の「ゴジラシリーズ」と比較しても半分以下[注釈 28]という限られた予算と東宝洋画系という限られた上映館数、阪神・淡路大震災の影響を受けた側面もあって大ヒットには至らなかったものの、各方面から高い評価を受けた[注釈 29][47]。これにより、往年のファンだけでなく新たなファンの獲得にも成功し、引き続き製作された2作品と合わせて後に「平成三部作」と呼ばれ、高い人気を得るに至った。また、すでにヒットメーカーとして知られていた金子修介(本編)と伊藤和典(脚本)だけでなく、特撮や造形などを担当した樋口真嗣品田冬樹原口智生の知名度も大きく上がった。また、この三部作は以降の特撮界全体に多大な影響を与えただけでなく、後年の『小さき勇者たち?ガメラ?』および東映の『デジモンテイマーズ』と円谷プロダクションの『ウルトラマンティガ』は『ガメラ 大怪獣空中決戦』の最初期の構想が再利用されて制作された[9]

なお、低年齢層も視聴するゴジラシリーズ他の一般的な日本製怪獣・特撮映画と比較すると、「(効果音付きで)人が食べられる」「一般市民が襲われて多量の出血をともなって死亡する」「ミイラ化した死体が描写される」など残酷なシーンが見受けられるが、これは監督の金子が本シリーズの対象年齢を「小学校高学年辺り」としていることによる。

また、この時代はスタジオジブリも共に徳間書店のプロパティであったため、配給面での影響を受けたり、『巨神兵東京に現わる』では『ガメラ 大怪獣空中決戦』で使用された東京タワーの造形物を再利用することも企図されており、結果的には『巨神兵東京に現わる』の公開時にいくつかの劇場で東京タワーのモデルが展示されたこともあった[9]

しかし、三部作全体の興行成績は決して優れていたわけではなく[注釈 30]、また『ガメラ3 邪神覚醒』にて人間の犠牲者を出し過ぎたことと、金子らによる続編の構想に難点が存在し[注釈 31][注釈 32]、徳間書店による平成シリーズは打ち切りとなり[注釈 33][47]、徳間書店の経営難と徳間康快の死去をもって大映の各プロパティ角川書店に売却され、2度目の著作権譲渡を迎えた[9][36][14]
角川映画(KADOKAWA)時代「ウルトラマンマックス」および「巨神兵東京に現わる」も参照ガメラがマスコットとして採用されている調布市[58]にある角川大映スタジオ

平成三部作の終了後、ガメラシリーズはしばらく休眠期に入ったが、ゴジラシリーズが2004年をもってひとまずシリーズの完結を迎えたことで、テレビ特撮番組からのスピンオフではない純粋な「特撮(怪獣)映画」の新作が観られなくなることを危惧したファンから、再びガメラシリーズの復活を求める声が高まった。

大映自体も2002年に角川書店に営業権が譲渡され、その営業権をもとに新たに株式会社角川大映映画が設立された。角川大映は後に角川映画に商号を変更し、ガメラだけでなく「大魔神」や「妖怪シリーズ」の復活も考慮された[9]。角川側は商号が変更された直後に『ゴジラvsガメラ』を東宝に対して提案したが、両シリーズのクロスオーバーは実現しなかった[注釈 34][41][42]。同社は平成三部作の路線からの脱却と原点回帰を目指し、「ガメラを子供たちに返す」というモットーの下で、徳間時代とは違った形でのガメラ復活を検討する。その結果、『ゴジラ FINAL WARS』を経て東宝がゴジラ映画の製作を休止したことを受けて[14][38]2006年には新作ガメラ映画『小さき勇者たち?ガメラ?』を製作・上映した[注釈 35]。しかし、本作は本来の意図である子供や女性の観客からは好評を得たが[注釈 36]、平成三部作の方向性を好む客層には支持されずに興行的に失敗となり[注釈 37]、本作の続編だけでなく、後述の通り、同時期に進行していたアニメ作品などの製作が中止されるなど、シリーズは再度の打ち切りに直面して新たな休眠に入った[注釈 38][9]

2015年10月、ガメラ生誕50周年記念としてウェブサイトが公開され[60]YouTubeにて記念映像『GAMERA』が公開された[61]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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