ガメラ
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人工生物[注釈 6]
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性別不明[注釈 8]
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ガメラは、大映(現:KADOKAWA)が1965年に公開した怪獣映画大怪獣ガメラ』に登場する架空の怪獣の名称である。

『大怪獣ガメラ』以降も続編、およびガメラの登場する映画作品が継続的に製作されており、これら全作品を総称してガメラシリーズと呼ぶ。本項ではシリーズ全般、およびキャラクターとしてのガメラを解説する。

後述の通り、同じく大映初の著名なキャラクターである「大魔神」も当初はガメラシリーズの敵として構想されていたり[13]、「シネミス・ガメラ」や「ガメラバエナ(英語版)」の命名の由来になっているなど世界的に文化面に影響を与えてきた側面があり、特撮界全体[注釈 9]にも多大な影響を与え[9][18][19]、日本を代表する著名なシリーズ[注釈 10]も含め、多数の作品や事象の名称にガメラへのオマージュなどが存在し[注釈 11]、数々の著名人[注釈 12]も影響を受けている。
シリーズの概要

カメ特有のユーモラスなデザインや飛行能力、人間や地球などを守る正義の存在であるなど独特の個性を持ち、東宝怪獣と共に日本の怪獣映画界の代表的なキャラクターとして広く浸透しており[33]、「ゴジラシリーズ」もガメラシリーズによって影響を受けてきたとされる[注釈 13]。本シリーズの代表的な敵怪獣としてはギャオスが知られる。

ガメラシリーズは「倒産以前の旧大映時代」「再建して徳間グループに入っていた大映が製作した時代」「角川グループに入った大映が商号変更した角川ヘラルド - 角川映画時代」の3つに区分することができる。

2度にわたって権利会社が変更になるなど、経済的な理由によって本シリーズを含む大映作品は大打撃を受けており[36]、本シリーズも「妖怪シリーズ」も『ガメラ対深海怪獣ジグラ』が経済的理由でダイニチ映配を行って以降はすべて他社との共同配給や定額制動画配信サービスによる配信という手段を取っており、「大魔神」の映像作品への復活もテレビドラマおよび「妖怪シリーズ」への客演に留まっている[14][37]

また、大映の倒産以前からビデオの配給面で「ゴジラシリーズ」との競合を避けていたが、倒産以降は新作の製作自体にもその傾向が見られ、本シリーズの製作本数の少なさや休眠に影響を与えてきた可能性がある[注釈 14][14][38]。また、後述の通り2002年には角川から東宝へとクロスオーバーが提案されたが実現しなかった[41][42]。一方で、本シリーズは「ゴジラシリーズ」との「共存」を目指して出発したこともあり、両シリーズが製作面において関係者を共有してきたことも多く、平成三部作は「洋画系」ではあったが東宝によって配給されており、東宝側から見ても本シリーズは決して「敵対」するようなライバルではないとされる[14][43]

結果的に本シリーズは7?17年間に渡る休眠を4度経ており、複数回の打ち切りや続編や新作のキャンセルなどに直面してきた。長期の休眠だけでなく予算の都合から新作の宣伝費も限定されるためにさらに知名度も低下しやすいなどの二次的な悪影響を受ける側面もある[注釈 15][14]。計12作存在する劇場作品において、それらの中の一作も経済的な理由から完全な新規作品ではなくて過去作のストック・フッテージに依存している[14]
大映時代「第一次怪獣ブーム」、「第二次怪獣ブーム」、「エキスプロダクション」、および「ヤンガリー」も参照シリーズ初の総天然色作品であり、「大魔神」シリーズの発足にも帰結した『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』であるが、昭和作品では唯一子供が登場せず、湯浅憲明も監督していない。

旧大映時代のガメラシリーズは、東宝製作のゴジラシリーズの成功に触発された当時の各映画会社がこぞって製作していた怪獣映画作品群の流れを受けて誕生したが、後述の通り大映による1962年の『鯨神』と1965年の『大怪獣ガメラ』以降に他会社による怪獣映画が急増し[注釈 16]、ガメラシリーズも「怪獣」や「特撮」というジャンルに与えた影響が大きいとされる[14]

また、大映時代の配役には『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』以降は必ず外国人の少年(およびその家族)が登場し、主人公である日本人の少年とともに冒険するという特徴がある[注釈 17]

誕生秘話としては、「当時の大映社長の永田雅一が、アメリカ合衆国に向かう飛行機から見下ろした島または島の上に浮かぶ雲の形状が亀または亀の甲羅に似ていたことにインスピレーションを受け、『大映の怪獣は空を飛ぶ亀をモチーフにする』こととなった」という逸話がある[45]。一方で、当初は『大海魔ダコラ』というタコの怪獣映画が企画され[注釈 18]、その後に撮影こそされたが諸事情で製作中止となった『大群獣ネズラ』を経て、永田のアイディアを受けて斉藤米二郎高橋二三によって考案された「火喰いガメ 東京を襲う」が『大怪獣ガメラ』の原案になったとされる[38]。また、別の説として大映の撮影所の近所のとある神社の池に女性の参拝客が訪れる時に限って姿を現すことから「スケベガメ」と呼ばれたカメがいたため、大映の関係者の間ではこのカメがガメラのモデルになったという噂や、このためにガメラは「当初は子供ではなくて女性の味方と予定されていた」という噂も存在したとされる[14]

方針として、ゴジラシリーズとの競争ではなく共存が念頭にあったとされ、下記の六社協定や予算面の事情があっただけでなく、ゴジラシリーズとの差別化がとくに意識されており、明確に方向性を変えることでガメラとゴジラの両シリーズが愛されるように目指したとされ、ゴジラシリーズがガメラシリーズから影響を受けるほどにアイコンとしてガメラが確立され、多くのファンを獲得したとされる[注釈 19][14][15]

大映側(永田雅一)の主導によって制定された六社協定の影響で、東宝以外の会社は東宝が確立した特撮の技術などを表立って使うことができない状況にあり[注釈 20]日活松竹が1967年の『大巨獣ガッパ』や『宇宙大怪獣ギララ』に円谷英二のチームを起用したのに対して、大映だけはあえて円谷の力を借りずにそれらよりも先に看板怪獣を製作し[注釈 21]、厳しい経営状況と六社協定の条件をクリアするためにゴジラシリーズとの差別化を念頭に置き、怪獣映画の「お約束」である「自衛隊や軍隊や兵器群」や「科学的な考察」の導入をあえて制限し、奇抜ながらも子供が共感を得やすく、子供が活躍し、ガメラと子供たちの絆がキーポイントとなるという方向性を確立させた[注釈 22][14]


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