彼の著作はフランス象徴派文学の強い影響を受けており、激しい暴力や異常な心理状態の描写が、壮麗な空想場面によって彩られていることを特徴とする。小説における代表作品の一つで、発表時に大きな話題を呼んだIl Fuoco(炎、1900年)では、彼は自分自身をニーチェ的超人"Stelio Effrena"として描き、女優エレオノーラ・ドゥーゼとの虚実取り混ぜた愛情関係を記している。また彼の短編にはモーパッサンの影響もみられる。
彼の小説の心理的インスピレーションは、フランス、ロシア、北欧諸国あるいはドイツなど様々の文学にその出発点を得ており、特に初期の作品にあっては独創性には乏しい。その創作力は深く鋭いが、常に狭く個人的であった。例えば彼の描く主人公はいつでも同じタイプの人物であり、それが人生のそれぞれの段階でそれぞれの問題に直面した、というに過ぎない。しかし彼の欠陥のない文体、語彙力の豊富さに比肩しうる同時代の作家は存在しなかった。後期の作品では、ダンヌンツィオはイタリアの昔日の栄光の歳月にその題材を求めることが多くなる。
戯曲も手掛け、神曲に材を取った『フランチェスカ・ダ・リミニ』はザンドナイによりオペラ化された。近年メトロポリタン歌劇場を始め、欧米の劇場で上演される機会が増えている。
博物館Il Vittoriale degli Italiani
ダンヌンツィオの生涯と作品はIl Vittoriale degli Italiani(it)と名付けられた博物館に記念されている。この博物館自体、彼が構想し1923年からその死に至るまで発展させたものであり、ガルダ湖の南西、ガルドーネ・リヴィエーラにある彼の別荘に隣接している。現在では同博物館は軍事博物館、図書館、文学・歴史のアーカイヴ、劇場そして霊廟の複合体になっており、また、ダンヌンツィオがウィーン飛行作戦に用いたSVA-5機および魚雷艇MAS96も保存している。
ペスカーラにあるダンヌンツィオの生家もまた博物館として一般公開されている。 同時代のイタリアの作曲家たちもまた、ダンヌンツィオの詩才に魅了された。トスティ、レスピーギはじめ、有名、無名あわせて50人以上が彼の詩に曲付けしたという。中でもトスティは、この若き詩人をまだ高等専門学校在学中の1880年から寵愛し、詩への作曲は1916年のトスティの死に至るまで続いた。 日本では明治時代に上田敏らによって早くから紹介され、英訳・仏訳・独訳を通して広く読まれ、当時社会現象となっていた「煩悶青年」たちを虜にした[10]。なかでも『死の勝利』は日本文壇に衝撃を与え、ダンヌンツィオ流恋愛の実践と言われた森田草平・平塚らいてうの心中未遂事件を引き起こし、事件をもとにしベストセラーになった森田の『煤煙 (小説)』には『死の勝利』の影響が強く見られた[10]。戦後は政治的活動により色者扱いされ、同じ日独伊三国同盟の盟友であるトーマス・マンと異なりほとんど埋もれた状態になった。世紀が変わったころから再評価が進み、重要な作品の新訳がいくつか行われている。 三島由紀夫の『岬にての物語』(1946年)は、生田長江訳『死の勝利』[11]を下敷きにしていると、筒井康隆は、著書『ダンヌンツィオに夢中』(中央公論社、1989年/中公文庫、1996年)で述べている。三島自身による唯一の翻訳出版は、池田弘太郎[12]との共訳で『聖セバスチァンの殉教』(美術出版社、1966年/国書刊行会〈クラテール叢書〉、1988年)である。これら作品上の関係のみでなく、楯の会の制服や行動にダンヌンツィオの影響[13]を見る者も多い。 三島が自決間際に、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地の本部庁舎バルコニーからおこなった演説(三島事件参照)は、フィウーメ占拠時のダンヌンツィオが取った行動の模倣であると、たびたび指摘[14]されている。筒井康隆『ダンヌンツィオに夢中』は、これらの論考・指摘に基づいている。
ダンヌンツィオとイタリア歌曲
日本における受容
代表作
Primo vere(早春、1879年)
L'innocente'(犠牲、罪なき者、1892年) - ルキノ・ヴィスコンティの遺作「イノセント」の原作
Il Trionfo della Morte(死の勝利、1894年)
Le Martyre de Saint Sebastien, L.124(聖セバスティアンの殉教、1911年) - クロード・ドビュッシー作曲、ダンヌンツィオのフランス語詩による合作オペラ
邦訳
上田敏訳『死の勝利』部分訳など
森鴎外訳『秋夕夢』
加藤朝鳥
石川戯庵
生田長江訳『死の勝利』 (新潮社, 1913)
矢口達訳『巌の処女』 (新潮社, 1913)
日野月明紀訳『廃都』(赤城正蔵, 1914)
森田草平訳『快楽児』 (博文館, 1914)
森田草平訳『犠牲』(国民文庫刊行会、1917)
鷲尾浩訳『ダヌンチオ全集第1巻』(冬夏社, 1921) - 『フランチエスカ』、『ジヨコンダ』、『春曙夢』、『秋夕夢』収録
三上於菟吉訳『ダヌンチオ全集第2巻』(冬夏社, 1921)
斎藤竜太郎訳『死の勝利』 (春陽堂, 1924)
野上素一訳 『死の勝利』 (岩波文庫 上下, 1961-63)、復刊1991年・2007年
三島由紀夫?池田弘太郎の共訳『聖セバスチァンの殉教』(美術出版社、1966年9月30日)- (国書刊行会〈クラテール叢書10〉新版再販 1988年4月23日)
脇功訳、「薔薇小説」3部作で、『快楽』、『罪なき者』、『死の勝利』松籟社で2007年夏?2010年秋に刊行。
関連項目
田之倉稔 - 2003年に評伝『ダヌンツィオの楽園 戦場を夢見た詩人』(白水社)を刊行
暁は光と闇とを分かつ
参考文献
藤澤道郎「ダヌンツィオとローマ進軍 一九二二年八月?十月のダヌンツィオの政治行動」『イタリア学会誌』第32巻、イタリア学会、1983年、1-15頁、.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}NAID 110002959213。
伝記
ルーシー・ヒューズ=ハレット『ダンヌンツィオ 誘惑のファシスト』 柴野均訳、白水社、2017年
脚注^ “150° nascita Gabriele D'Annunzio, ricercatore spoletino fuga dubbi su vero cognome del poeta” (イタリア語) (2013年3月12日). 2020年8月18日閲覧。
^ F・ブライ『同時代人の肖像』法政大学出版局、1981年、41頁。