ガザ紛争_(2008年-2009年)
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けが人はなかったが、イスラエル軍は大規模空爆など攻撃拡大に踏み切るとみられていた[18]

イスラエルでは2009年2月総選挙を控えていたが、攻撃前の段階で対パレスチナ強硬派の野党・リクードが支持を拡大し、与党・カディマも弱腰な姿勢を見せることはできないとして、大規模な報復攻撃を実行することとなった。また、2009年1月20日の「敵との対話」を掲げるアメリカオバマ政権の発足前に、「ハマースを弱体化しておきたい」とするイスラエルの思惑があったという論調もある[19]
経過ガザ地区の地図
イスラエル軍による空爆

2008年12月27日(現地時間午前11:30、UTC午前9:30[20])、イスラエル空軍がガザ地区全土に大規模な空爆を開始した[21]。2009年1月3日の地上侵攻までの死者は430人にのぼった。
地上侵攻

1月3日、イスラエル軍はガザ地区への大規模な砲撃の後、歩兵戦車、砲撃隊などの隊列が侵攻を開始し、事態は市街戦に発展した[22]。ハマースとの激烈な戦闘が行われ、ガザ地区では空爆や砲撃によって自宅を失った一般市民4,000人が更に避難民と化した。

1月6日、イスラエル軍が国際連合パレスチナ難民救済事業機関 (UNRWA) の運営する避難所となっている学校を砲撃、少なくとも40人が死亡した[23]。これに対し、イスラエル軍は同施設の付近からハマース側の攻撃があったために加えた反撃であると主張しているが、UNRWAや地元住民は「現場に戦闘員はいなかった」と否定している[24]

1月7日、イスラエル軍は国際機関らによる援助物資の搬入のため、27日の攻撃開始以来初めて、3時間程度戦闘を停止した[25]
停戦への動き

戦闘開始が年末で、多くの諸外国がクリスマス及び年末年始の休暇の時期に入っていたことから停戦調停が遅れ、戦闘が長引く要因になった。

ハマースの代表団は1月9日夜、カイロ入りし、仲裁国のエジプトと停戦交渉に入った。エジプトによる停戦案にイスラエル側は原則同意の方針を示したが、ハマースの在外指導部はこれを拒否した[26]。その他にも国際連合フランスなどから停戦案が提示されたが、どれも合意には至らなかった。

戦闘開始から3週間たった1月17日、イスラエルは一方的な「停戦宣言」を出し部隊の引き上げを始めた。ただし、この停戦は上記のエジプト仲介による停戦プロセスとは関係がない。直後、ハマースも抗戦を停止した。その後イスラエル軍は、アメリカのバラク・オバマ新大統領が就任した20日にガザの市街地からの撤退を完了した。
戦闘後

戦闘停止後、各国・団体によるガザへの復興支援が始まったが、イスラエルとエジプトが国境封鎖と検問を継続しており生活用品の運搬にも支障が出ている。1月27日、エジプト政府が停戦協定を2月5日前後に発効させる方向で調整をしていると報じられた[要出典]。

同27日、境界付近で爆発が起こり、パトロール中のイスラエル兵1人が死亡。イスラエルは直ちにガザ方面へ反撃し、農民1人が殺害された。イスラエルは人道物資支援の検問所をすべて閉鎖した[要出典]。

現在も散発的にガザから迫撃砲が撃ちこまれ、それに対してイスラエル軍が反撃するなど小規模な戦闘は今も続いている。このため、ガザの境界近くに住むイスラエル人住民の間からは、問題の根本的解決のためにガザ再攻撃を望む声が強まっている[要出典]。
国際社会の反応.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{}  イスラエルとガザ   イスラエルを支持し、イスラエルの行動を防衛権に基づくものと定義した国   ハマスのみを非難した国   ハマスを支持し、ハマスの行動を防衛権に基づくものと定義した国   イスラエルのみを非難した国   両陣営に対し停戦を求め、いずれをも非難しなかった国   公式には立場を表明していない国詳細は「w:International reaction to the 2008?2009 Israel?Gaza conflict」を参照
日本

麻生太郎首相は2008年12月31日、イスラエルのエフード・オルメルト首相と電話で会談し、速やかな空爆の停止を求めた[27]。また、パレスチナに対して援助を与える事を表明している。[要出典]

国連人権理事会に提出されたイスラエル非難決議案は、イスラエル批判に傾重しているとして棄権した。日本パレスチナ問題に対しては、どちらか一方に肩入れすることはなく一貫して中立の姿勢をとり続けている。
国連

1月8日国際連合安全保障理事会は、「即時かつ恒久的な停戦」とイスラエル軍の撤退を求める決議を賛成14、棄権1(アメリカ)で採択。イスラエル・ハマース双方決議を黙殺した。

また同8日、国際連合パレスチナ難民救済事業機関は、イスラエルの攻撃で職員が殺害されたことを理由にガザでの人道活動援助を11日まで全面停止した。

翌9日、国連人権理事会はイスラエル非難決議案を賛成33、反対1(カナダ)、棄権13(日本・欧州)で可決した。

15日、潘基文事務総長がイスラエルを訪問したが、直後にパレスチナ難民救済事業機関本部の敷地内が攻撃を受け、「強い抗議と怒り」を表明。イスラエル政府は陳謝した。
フランス

ジョージ・W・ブッシュ大統領の任期切れ間近を背景に本格的な行動をとらないアメリカとは対照的に、積極的に停戦交渉に乗り出したのがフランスのニコラ・サルコジ大統領であった。サルコジ大統領は2009年1月5日から中東入りし、エジプトのホスニー・ムバーラク大統領パレスチナ自治政府マフムード・アッバース議長、イスラエルのエフード・オルメルト首相と会談[28]。1月6日には、シリアバッシャール・アル=アサド大統領[29]レバノンフアード・シニオラ首相[30]とも会談している。

また、パリにあるイスラエル大使館前には多くのユダヤ系住民が詰めかけ、ガザ攻撃を「正当防衛」として支持するデモ活動を行った。[31]
アメリカ合衆国

コンドリーザ・ライス国務長官は2008年12月27日、事件に関してハマースを非難する声明を出した[32]。続いて12月30日、ブッシュ大統領はパレスチナ自治政府のアッバース議長、サラーム・ファイヤード首相と電話で会談し、停戦に向けて協議を行った[33]。年が明けて1月3日には、国民向けラジオ演説で情勢の悪化の責任はハマースにあると非難した[34]


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