また、父方からハプスブルク家の血を受け継いだ神聖ローマ皇帝であるものの、ドイツ人とも言いがたい。カール5世はフランドルのガンにて生を享けたが、母語は当時のフランドル貴族の公用語であったフランス語であった。 カール5世父 マクシミリアン1世曽祖父 フリードリヒ3世高祖父 エレオノーレ[1]高祖父 マリー曽祖父 シャルル[2]高祖父 フアン2世高祖父
系譜
神聖ローマ皇帝
オーストリア公
ポルトガル国王
ブルゴーニュ公
ブルゴーニュ公
アラゴン国王
高祖母
マリアナ
祖母
カスティーリャ王イサベル1世曽祖父
カスティーリャ王フアン2世高祖父
カスティーリャ王エンリケ3世
高祖母
キャサリン
曽祖母
イザベル[3]高祖父
ポルトガル王子
[1]の父はポルトガル国王ドゥアルテ1世。ジョアン1世の子で、弟にエンリケ航海王子や[3]の父ジョアン、妹に[2]の母イザベルがいる。よって、[1]と[2]と[3]は、共にジョアン1世を祖父とするいとこ同士となる。
生涯
生い立ち少年時代のカール、ベルナールト・ファン・オルレイ画『カール5世のアントワープ入城』、ハンス・マカルト画
1500年にフランドルのガン(ヘント)で生まれ[2]、1517年までネーデルラントで育った。名前は曾祖父・ブルゴーニュ公シャルルにちなむ。