カール16世グスタフ_(スウェーデン王)
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これにより、地元メディアでは「国王の信頼は失墜した」として退位を求める論調を出し[2][1]、2011年半ばによる世論調査ではスキャンダル再燃前と比較して国王支持派は64%から44%に減少した[3]

2011年12月、スウェーデンの大衆紙・エクスプレッセン[4]が、証拠とされる写真は1976年シルヴィア王妃とともにテレビ番組に出演する国王の画像[5]から盗用し性風俗店内の裸の女性の写真にデジタル修正を施した[6]と証明し、マルコヴィッチは以前にもセレブを強請するためにこれと似た行為[注釈 1]をした事がある[7]と報じた。

スウェーデンの法律では売春は合法となっているが、買春は違法となっている[8][1]
新型コロナウイルス感染

2021年新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い、コロナワクチンの接種を3回(ブースターショットも含む)受けたが、2022年1月、シルビア王妃とともにコロナウイルスに感染して発症。王室は感染に関して「夫妻の症状は軽微で、健康状態は良い」と発表している[9]
人物カール16世グスタフ夫妻

長年、ディスレクシアを抱えているのではないかとの噂が流れていた。とあるジャーナリストは、国王が継承文書に署名する際、自身の名前を誤って綴った事と、1973年ファールン銅山を訪問し、岩壁に署名をする際に、自身の名前を“Cal Gustf”と書いた事に言及した。これらの事に関しては、シルヴィア王妃が1997年に出演したテレビ番組のインタビューの中で正式に認めている。同時に、夫妻の子女達も軽度のディスレクシアを抱えている事も公表している。

1975年6月25日から1977年2月9日までの間、イギリス海軍の名誉元帥を務めていた事がある。

毎年開かれるノーベル賞やポーラー音楽賞の授与式では、プレゼンターとしての役割を務めている。

大変なスポーツ好きで、オリンピックノルディックスキー世界選手権など頻繁にスウェーデンチームの応援に駆けつける事で知られている。

自動車にも深い造詣があり、複数のポルシェ・911のほか多数の車を保有している。ちなみに、結婚前の夫妻が最初にマスコミによってスクープされた写真は、2人でポルシェ・911の座席に座っているところだった。

2005年の夏に、ノーショーピングで自身が運転する車が事故に巻き込まれ、軽傷を負ったことがある。

日本への訪問は16回を数え、皇室との親交も深い。初訪問は王太孫時代の1970年日本万国博覧会を視察した[10]。即位後1980年に国賓として訪問[11]1989年2月、シルヴィア王妃とともに昭和天皇大喪の礼に参列。1990年には2度訪問し、3月には旭川国際バーサースキー大会出席、11月にはシルヴィア王妃とともに明仁天皇の即位礼正殿の儀に参列した。2007年3月25日にシルヴィア王妃とともに国賓として訪問し、翌3月26日には明仁天皇・美智子皇后との晩餐会に臨み、国立科学博物館太田記念美術館ソニーの本社などを視察したほか、川越市長崎市を訪れた。2018年4月には日本スウェーデン国交樹立150周年記念行事のため公式実務賓客として訪問した[12][13]。2019年10月にはヴィクトリア王太女とともに徳仁天皇の即位礼正殿の儀に参列した[14]

移民に対する偏見や迫害が深刻な社会問題となった際は、年末のテレビ演説の中で、現王室のベルナドッテ家がフランスの出身であることに触れ、「私も移民の子孫ですよ」と語り、問題の沈静化に一役買った。

2010年11月、カール・グスタフの性風俗店通いや、1990年代にダンスミュージックグループ“Army of Lovers”の創設メンバーである歌手カミラ・ヘネマークとの不倫疑惑を指摘する本がスウェーデンにて出版されたが[2]、本の情報源の信頼性・正確性への疑問やプライバシーを重視する国民性により[15]、いずれの疑惑もデマにずぎないとみなされている(性風俗店通い疑惑は後にスキャンダルが再燃したが、無実であると証明できた)。

新王位継承法による長子相続制についてはかなり強い反対意見を持つ。インタビューの際、「息子を継承者にしたい」「大部分のスウェーデン人は男王が王位を継ぐことを望んでいると確信する」など、男尊女卑とも取られる発言をしており、女性の王位継承に反対しているとも見られている。しかし真の反対理由は「遡及適用する法は愚の骨頂」というもので、これは経過措置を定めず継承法改正前に生まれた王族にまで遡及適用し、すでに法定推定相続人であったカール・フィリップ王子が出生時からの地位を失ってしまう事に対する不満であった。国王の意見に賛意を持つ国民もいるが、「時代遅れの見解」「退位すべき哀れな人」など反対意見を持つ国民もいる[16]

父グスタフ・アドルフ王子の死については7歳になるまでに知らず、2005年の演説でこの事に対する気持ちを表明した。

家族

即位前年の1972年ミュンヘンオリンピック観戦の際、現地でカール・グスタフ王太孫の世話を担当したのがジルフィア・ゾマラート(母方はブラジル人)、すなわちシルヴィア王妃だった。これをきっかけに交際が始まったが、当初は年上でドイツ人の一般市民ということもあり、結婚にこぎつけるのは大変なことであった。1976年3月12日に婚約を発表[17]、3か月後の6月19日に2人は晴れて結婚する事となった。この日の披露宴では、スウェーデンを代表するポップ・グループ“ABBA”のメンバーも参列し、新曲だった『ダンシング・クイーン』を初演奏した。この曲は翌年、世界的な大ヒット曲となる。

1982年には、公邸をストックホルム郊外のドロットニングホルム宮殿に移し、それまで住んでいたストックホルム宮殿は公務の場とする事となった。

また夫妻は、次の1男2女をもうけた。

ヴィクトリア1977年 - )王太子

カール・フィリップ1979年 - )


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