カール16世グスタフ_(スウェーデン王)
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2018年4月には日本スウェーデン国交樹立150周年記念行事のため公式実務賓客として訪問した[12][13]。2019年10月にはヴィクトリア王太女とともに徳仁天皇の即位礼正殿の儀に参列した[14]

移民に対する偏見や迫害が深刻な社会問題となった際は、年末のテレビ演説の中で、現王室のベルナドッテ家がフランスの出身であることに触れ、「私も移民の子孫ですよ」と語り、問題の沈静化に一役買った。

2010年11月、カール・グスタフの性風俗店通いや、1990年代にダンスミュージックグループ“Army of Lovers”の創設メンバーである歌手カミラ・ヘネマークとの不倫疑惑を指摘する本がスウェーデンにて出版されたが[2]、本の情報源の信頼性・正確性への疑問やプライバシーを重視する国民性により[15]、いずれの疑惑もデマにずぎないとみなされている(性風俗店通い疑惑は後にスキャンダルが再燃したが、無実であると証明できた)。

新王位継承法による長子相続制についてはかなり強い反対意見を持つ。インタビューの際、「息子を継承者にしたい」「大部分のスウェーデン人は男王が王位を継ぐことを望んでいると確信する」など、男尊女卑とも取られる発言をしており、女性の王位継承に反対しているとも見られている。しかし真の反対理由は「遡及適用する法は愚の骨頂」というもので、これは経過措置を定めず継承法改正前に生まれた王族にまで遡及適用し、すでに法定推定相続人であったカール・フィリップ王子が出生時からの地位を失ってしまう事に対する不満であった。国王の意見に賛意を持つ国民もいるが、「時代遅れの見解」「退位すべき哀れな人」など反対意見を持つ国民もいる[16]

父グスタフ・アドルフ王子の死については7歳になるまでに知らず、2005年の演説でこの事に対する気持ちを表明した。

家族

即位前年の1972年ミュンヘンオリンピック観戦の際、現地でカール・グスタフ王太孫の世話を担当したのがジルフィア・ゾマラート(母方はブラジル人)、すなわちシルヴィア王妃だった。これをきっかけに交際が始まったが、当初は年上でドイツ人の一般市民ということもあり、結婚にこぎつけるのは大変なことであった。1976年3月12日に婚約を発表[17]、3か月後の6月19日に2人は晴れて結婚する事となった。この日の披露宴では、スウェーデンを代表するポップ・グループ“ABBA”のメンバーも参列し、新曲だった『ダンシング・クイーン』を初演奏した。この曲は翌年、世界的な大ヒット曲となる。

1982年には、公邸をストックホルム郊外のドロットニングホルム宮殿に移し、それまで住んでいたストックホルム宮殿は公務の場とする事となった。

また夫妻は、次の1男2女をもうけた。

ヴィクトリア1977年 - )王太子

カール・フィリップ1979年 - )

マデレーン1982年 - )

1980年1月1日からは、長子相続制に基づいて、ヨーロッパでは初めて男女にかかわらず最初に出生した子供に法定推定相続人の権利が与えられることとなり、2019年現在の王位継承順位第1位は長女のヴィクトリア王太子であり、1979年12月31日まで王太子であった長男のカール・フィリップ王子は第4位となった(第2位・第3位はそれぞれヴィクトリア王太子の子であるエステル王女オスカル王子)。
系譜

カール16世グスタフ (スウェーデン王)父:
グスタフ・アドルフ (ヴェステルボッテン公)祖父:
グスタフ6世アドルフ (スウェーデン王)曾祖父:
グスタフ5世 (スウェーデン王)
曾祖母:
ヴィクトリア・フォン・バーデン
祖母:
マーガレット・オブ・コノート曾祖父:
アーサー (コノート公)
曾祖母:
ルイーゼ・マルガレーテ・フォン・プロイセン
母:
ジビラ・フォン・ザクセン=コーブルク=ゴータ祖父:
カール・エドゥアルト (ザクセン=コーブルク=ゴータ公)曾祖父:
レオポルド (オールバニ公)
曾祖母:
ヘレーネ・フリーデリケ・アウグスタ・フォン・ヴァルデック=ピルモント
祖母:
ヴィクトリア・アーデルハイト・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク曾祖父:
フリードリヒ・フェルディナント (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク公)
曾祖母:
カロリーネ・マティルデ・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=アウグステンブルク

脚注[脚注の使い方]
注釈^ 自分が運営している性風俗店に隠しカメラを設置し、強請したいセレブが性交を行う、または麻薬を摂取しているように見せるやらせ盗撮

出典^ a b c 『スウェーデン国王もハマった「性風俗」極上プレイ』 週刊文春 2011年6月30日号
^ a b “スウェーデン国王:風俗店通い疑惑…本人否定、退位論も” (2011年6月16日). 2019年12月3日閲覧。
^ “Gangster Mille Markovic ‘who had pictures of Swedish king Carl XVI Gustaf in strip club’ shot dead in his car” (2014年1月24日). 2019年12月3日閲覧。
^ “Kungabilden granskad av Expressen” (2011年12月16日). 2019年12月3日閲覧。
^ “Intervju med Kungen och Silvia (1976) (Fran 100 hojdare)” (2009年12月13日). 2019年12月3日閲覧。


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