カール1世_(オーストリア皇帝)
[Wikipedia|▼Menu]
大伯父であるフランツ・ヨーゼフ1世の後継者として1916年に即位し、オーストリア=ハンガリー帝国の統治者となった。第一次世界大戦に敗れて「国事不関与」を宣言したが、王権神授説を主張して退位要求を拒絶し、スイスに亡命。莫大な皇室財産のほとんどを新生のオーストリア共和国に没収された後、二度にわたってハンガリー国王への復帰運動を企てたが失敗し、ポルトガルマデイラ島に流されて困窮の中で病死した。

政治的には成すところの少ない君主だったが、カトリック教会への篤い信仰心を持ち、フランス首相クレマンソーからは「中欧における教皇[1]」と、時のローマ教皇ベネディクト15世からは「私のお気に入りの子[1]」と呼ばれ、20世紀国家元首としては初めての福者になった。かつてのハプスブルク君主国の領域を中心に崇敬を集めている。
生涯
幼少期1895年頃のペルゼンボイク城(ドイツ語版)幼少のカール(1889年頃)

1887年8月17日ドナウ川の河畔に位置するペルゼンボイク城(ドイツ語版)において生を享けた。父はオーストリア皇族オットー・フランツ大公、母はザクセン国王ゲオルクの娘マリア・ヨーゼファ

出生当時、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世には長男としてルドルフ皇太子がおり、皇弟カール・ルートヴィヒ大公の孫として誕生したカールは帝位継承とはかけ離れた存在だった[2]。誰の目にも未来の皇帝とは映らなかったこの新大公の誕生のニュースは、当時は宮廷に関する他の記事といっしょに扱われたにすぎなかった[2]。カール生誕時のオーストリア皇位継承順位(灰色は故人)

             
           
 オーストリア皇帝
フランツ・ヨーゼフ1世 メキシコ皇帝
マクシミリアン カール・ルートヴィヒ
第2位 

                  
     
 オーストリア皇太子
ルドルフ
継承順位第1位     フランツ・フェルディナント
第3位  オットー・フランツ
第4位 

                

              カール


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:183 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef