政治的には成すところの少ない君主だったが、カトリック教会への篤い信仰心を持ち、フランス首相クレマンソーからは「中欧における教皇[1]」と、時のローマ教皇ベネディクト15世からは「私のお気に入りの子[1]」と呼ばれ、20世紀の国家元首としては初めての福者になった。かつてのハプスブルク君主国の領域を中心に崇敬を集めている。
生涯
幼少期1895年頃のペルゼンボイク城(ドイツ語版)幼少のカール(1889年頃)
1887年8月17日、ドナウ川の河畔に位置するペルゼンボイク城(ドイツ語版)において生を享けた。父はオーストリア皇族オットー・フランツ大公、母はザクセン国王ゲオルクの娘マリア・ヨーゼファ。
出生当時、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世には長男としてルドルフ皇太子がおり、皇弟カール・ルートヴィヒ大公の孫として誕生したカールは帝位継承とはかけ離れた存在だった[2]。誰の目にも未来の皇帝とは映らなかったこの新大公の誕生のニュースは、当時は宮廷に関する他の記事といっしょに扱われたにすぎなかった[2]。カール生誕時のオーストリア皇位継承順位(灰色は故人)
オーストリア皇帝
フランツ・ヨーゼフ1世 メキシコ皇帝
マクシミリアン カール・ルートヴィヒ
第2位
オーストリア皇太子
ルドルフ
継承順位第1位 フランツ・フェルディナント
第3位 オットー・フランツ
第4位
カール