戦後、ヴォルフは数千人の市民の殺害に加担していたものの、ニュルンベルク裁判で証拠となる情報を連合国に提供したため、彼自身の起訴は見送られて釈放された[8]。しかしその後、親衛隊の指導者として西ドイツ政府から起訴され、1948年11月に懲役5年の判決を受けた。7か月後、懲役4年に変更されるとともに、釈放された。戦後の1949年から再び広告会社を始めるが、一方でアメリカ合衆国の諜報機関CIAに協力していたともいわれる[9] 。しかし、1962年にイスラエルでアドルフ・アイヒマン裁判があり、この法廷でヴォルフのイタリアのユダヤ人移送の組織化のことが取り上げられ、これを受けて同年に西ドイツ政府が30万人のユダヤ人をトレブリンカ強制収容所へ移送した容疑、イタリアのユダヤ人をアウシュヴィッツ強制収容所へ移送した容疑、イタリアのパルチザンをベラルーシで殺害した容疑などで再度ヴォルフを起訴した。西ドイツ裁判所はヴォルフに懲役15年の刑を宣告したが、1969年になって健康状態を理由に釈放されている。1984年にローゼンハイムで死去。
キャリア
階級
1933年1月30日、親衛隊大尉
1933年11月9日、親衛隊少佐
1934年1月30日、親衛隊中佐
1934年4月20日、親衛隊大佐
1934年7月4日、親衛隊上級大佐
1935年11月9日、親衛隊少将
1937年1月30日、親衛隊中将
1940年5月3日、武装親衛隊中将
1942年1月30日、親衛隊大将及び武装親衛隊大将
叙勲
一級鉄十字章(1914年版)
二級鉄十字章(1914年版)
名誉十字章前線戦士章
黄金ナチ党員バッジ
ナチ党勤続章
親衛隊勤続章
一級剣付き戦功十字章
二級剣付き戦功十字章
一級鉄十字章略章(1939年版)
二級鉄十字章略章(1939年版)
黄金ドイツ十字章(1944年12月9日)
親衛隊全国指導者名誉長剣
親衛隊名誉リング
脚注^ ただしヘンリク・エーベルレ、マティアス・ウール編、高木玲訳『ヒトラー・コード』p 454によると1945年4月20日に親衛隊上級大将及び武装親衛隊上級大将へと昇進したと記載されている
^ ハインツ・ヘーネ著、森亮一訳『髑髏の結社 SSの歴史 上』(講談社学術文庫)103ページ。ISBN 978-4061594937
^ a b Charles Hamilton著「LEADERS & PERSONALITIES OF THE THIRD REICH VOLUME1」p363
^ a b フォルカー(2022年)、135頁。
^ Yerger, Mark著「Allgemeine-SS」p 23, 24
^ フォルカー(2022年)、136-137頁。
^ フォルカー(2022年)、138-139頁。
^ フォルカー(2022年)、136頁。
^ ⇒http://www.feldgrau.net/forum/viewtopic.php?f=42&t=29689
参考文献
Charles Hamilton著「LEADERS & PERSONALITIES OF THE THIRD REICH VOLUME1」(出版R James Bender Publishing)ISBN 0912138270 ISBN 9780912138275
Mark C. Yerger 著 「Allgemeine-SS」(出版Schiffer Pub Ltd)ISBN 0764301454 ISBN 978-0764301452
ヘンリク・エーベルレ
表
話
編
歴
国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)
思想
ナチズム
指導者原理
人種主義
アーリア人至上主義
反共主義
反ユダヤ主義