カール・マルテル
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カール・マルテルは3人の女性から6人の息子をもうけたという[15]

妻クロドトルードとの間に以下の子女がいる。

カールマン(706/13年 - 754年) - 宮宰(741年 - 747年)

ピピン3世(714年 - 768年) - 宮宰(741年 - 751年)、フランク王(751年 - 768年)

ヒルトルード - バイエルン大公オディロ(アギロルフィング家)と結婚

アルダ - トゥールーズ伯ティエリー1世(ギレム家)と結婚、トゥールーズ伯ギヨーム・ド・ジェローヌ母。

725年のバイエルン侵攻時に連れ去ったバイエルン大公グリモアルドの姪スワナヒルドと再婚し、1子をもうけた。

グリフォ(? - 753年) - バイエルンへ行き、743年および748年に反乱を起こすも失敗。753年にガスコーニュに逃亡、陰謀を企み殺害された[16]

ロタイドとの間に以下の庶子がいる[17]

ベルンハルト(? - 787年) - アダルハルト(コルビー修道院長(在職:780年 - 826年)、826年没)およびヴァラ(コルビー修道院長(在職:826年 - 830年)、836年没)の2人の息子がいる。

脚注[脚注の使い方]^ Charles Martel Frankish ruler Encyclopadia Britannica
^ a b 柴田 他、p. 155
^ 佐藤、p. 7
^ 成瀬 他、p. 62
^ プレクトルードとの間の息子はこの時点で皆死去しており、プレクトルードは自らの次男グリモアルドの息子テウドアルドを後継者に選んだ(柴田 他、p. 154、瀬原、p. 11)。
^ a b 佐藤、p. 15
^ a b c 柴田 他、p. 154
^ ネウストリア貴族がラガンフリドを宮宰に選んだという(柴田 他、p. 154)。
^ 瀬原、p. 11
^ 神崎、p. 60
^ a b ル・ジャン、p. 37
^ 瀬原、p. 12
^ 五十嵐、p. 31
^ a b 佐藤彰一 ⇒ポスト・ローマ期ヨーロッパの表象構造 2007年 pp.45-46.
^ 佐藤、p. 16
^ 瀬原、p.17, p.20
^ Settipani, Christian "Addendum to the Ancestors of Charlemagne" 2021年3月12日閲覧

参考文献

佐藤彰一 『世界史リブレット人29 カール大帝』
山川出版社、2013年

柴田三千雄 他 『世界歴史大系 フランス史 1』 山川出版社、1995年

成瀬治 他 『世界歴史大系 ドイツ史 1』山川出版社、1997年

瀬原義生 『ドイツ中世前期の歴史像』 文理閣、2012年

神崎忠昭 『ヨーロッパの中世』 慶應義塾大学出版会、2015年

五十嵐修 『地上の夢 キリスト教帝国 カール大帝のヨーロッパ』 講談社選書メチエ、2001年

レジーヌ・ル・ジャン 『メロヴィング朝』 白水社、2009年

関連項目

カロリング朝 - 名称は彼に由来する

フランク王の一覧

トゥール・ポワティエ間の戦い

シャルル・マルテル (戦艦) - 彼に由来するフランスの戦艦

先代
テウドアルドアウストラシア宮宰
715年 - 741年次代
カールマン

先代
ラガンフリドネウストリア宮宰
718年 - 741年次代
ピピン3世

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