カール・パーキンス
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イエルヴィントンはパーキンスについて彼独自の独特のブルースのようなスタイルを持っていたと語った[23]。1955年頃までパーキンスはテープ・レコーダーを借りてデモ・テープを自作し、宛先は市名と社名のみでコロムビア・レコードRCAレコードなどに送った。クラブ等に出演する傍ら、デモ・テープを色々なレコード会社に送るも、全く反応が無く、意気消沈としていた[24]

1954年7月、パーキンスと妻のヴァルダは、サン・レコードから既にデビューしていたエルヴィス・プレスリースコティ・ムーアビル・ブラックの新曲「ブルー・ムーン・オブ・ケンタッキー」をラジオで聴き[25]、ヴァルダはパーキンスにメンフィスにいる誰かがきっと理解してくれるはずだと語った[26]。後にプレスリーは、パーキンスに会ってエル・ランショでの演奏を聴くためにジャクソンに行ったことがあると語った[27]。「ブルー・ムーン・オブ・ケンタッキー」が終わると、彼は「私たちの演奏を理解してくれる人がメンフィスにいる。彼に会わなくてはならない」と語った[28]

数年後、演奏仲間のジーン・ヴィンセントはインタビューで「ブルー・ムーン・オブ・ケンタッキー」について、「新しいサウンドではなくその時すでに多くの人々、特にカール・パーキンスがこのようなサウンドを作り上げていた」と語った[29]
サン・レコード

プレスリーの音楽性に共感したパーキンスは対抗意識を燃やし[要出典]、メンフィスサン・レコードへ幾たびか売り込みに通い[要出典]、ようやくオーディションの機会を得た。1954年10月上旬、サン・レコードで10代の時に既に作っていた「Movie Magg」他数曲披露し[要出典]、サム・フィリップスに採用された。1955年3月19日、『Movie Magg』でデビューし[30]、B面の「Turn Around」が地域的にヒットした[4]。南部および南西部のラジオでこの曲が流され、パーキンスはアーカンソー州マリアナ、ウエスト・メンフィスでプレスリーと共演することになった。プレスリーおよび自分の観客についてパーキンスは「叫んでいる観客の前に登場しようとしたが、観客達はプレスリーの登場を待ち望んでいた。それはまるで爆発物のようだった。世界中がロック一色になったようだった」と語った[31]

サン・レコードから次にジョニー・キャッシュとテネシー・トゥがデビューすることになった。1955年夏、彼らはアーカンソー州リトルロック、フォレスト・シティ、コリンス、テュペロをツアーした。エル・ランショに再登場した時、パーキンス兄弟は交通事故に関わった。運転してきた友人がハンドルに引っ掛かって動けなくなった。パーキンスは燃え始めた車から彼を引きずり出した。クレイトンは車から投げ出されたが、重篤な怪我には至らなかった[32]

1955年10月、サン・レコードから発表された[33]『Gone Gone Gone』[34]が地域的にヒットした。この曲はカントリーとリズム・アンド・ブルースの風味豊かなバウンス・ブルースであった[35]。この曲は古典的な『Let the Jukebox Keep On Playing』のB面で、フィドル、ウエスタン・ブギのベース、スティール・ギター、涙をそそる歌声で構成された[36]

パーキンスの演奏についてフィリップスは「私はカールがロックを演奏できることを知っているが、彼は当初からエルヴィスが世に出る前からあの音楽を演奏していたと語っていた。この2人のどちらがカントリー界に革命を起こしたのか目の当たりにしたかった」と語った[37][要ページ番号]。
ブルー・スエード・シューズの大ヒット

1955年秋、パーキンスはあるダンサーがデート中にスエードの靴に傷がついて怒っているのを目撃し[38]、『ブルー・スエード・シューズ』を作曲した[8]。数週間後の1955年12月19日、パーキンスとバンドのメンバーはメンフィスのサン・スタジオでセッション中にこの曲をレコーディングした。フィリップスの提案で歌詞を「Go, cat, go」から「boogie vamp」に変更した[39]。1955年11月、プレスリーがサン・レコードからRCAレコードに移籍すると、1954年終盤からパーキンスのレコーディングを担当していたフィリップスはパーキンスに「カール・パーキンス、今君が私のロカビリー・キャットだ」と語った[40]


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