カール・パーキンス
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この曲はカントリーとリズム・アンド・ブルースの風味豊かなバウンス・ブルースであった[35]。この曲は古典的な『Let the Jukebox Keep On Playing』のB面で、フィドル、ウエスタン・ブギのベース、スティール・ギター、涙をそそる歌声で構成された[36]

パーキンスの演奏についてフィリップスは「私はカールがロックを演奏できることを知っているが、彼は当初からエルヴィスが世に出る前からあの音楽を演奏していたと語っていた。この2人のどちらがカントリー界に革命を起こしたのか目の当たりにしたかった」と語った[37][要ページ番号]。
ブルー・スエード・シューズの大ヒット

1955年秋、パーキンスはあるダンサーがデート中にスエードの靴に傷がついて怒っているのを目撃し[38]、『ブルー・スエード・シューズ』を作曲した[8]。数週間後の1955年12月19日、パーキンスとバンドのメンバーはメンフィスのサン・スタジオでセッション中にこの曲をレコーディングした。フィリップスの提案で歌詞を「Go, cat, go」から「boogie vamp」に変更した[39]。1955年11月、プレスリーがサン・レコードからRCAレコードに移籍すると、1954年終盤からパーキンスのレコーディングを担当していたフィリップスはパーキンスに「カール・パーキンス、今君が私のロカビリー・キャットだ」と語った[40]。サン・レコードは、プレスリーに続く看板アーティストとしてパーキンスに白羽の矢を立て、ロカビリー・シンガーとして売り出した。1956年1月1日、『ブルー・スエード・シューズ』が発表され、大ヒットした。アメリカでは『ビルボード』誌のカントリー・チャートで第1位(彼にとって唯一の第1位)、ポピュラー・チャートで第2位を獲得した。3月17日、パーキンスはカントリー・ミュージシャンとして初めてリズム・アンド・ブルース・チャートで第3位を獲得した[39][41]。その夜、ABCの『Ozark Jubilee』でテレビ・デビューし、この曲を演奏した。

イギリスではこの曲は第10位にランクインした。サン・レコード所属アーティストで100万枚売り上げた最初の曲となった。B面の『ハニー・ドント』はビートルズ[8]、ワンダ・ジャクソン、T・レックスにカヴァーされた。ビートルズ版でジョン・レノンがリードだったが、後にリンゴ・スターになった。レノンは『Lost Lennon Tapes』でもこの曲を演奏した[41]
交通事故

1956年3月21日、ヴァージニア州ノーフォークでの出番を終えたパーキンス一行は、3日後に放送を控えているNBCペリー・コモ・ショー』の撮影のため、ニューヨーク州ニューヨークに向かった。3月22日の夜明け前、デラウェア州ドーバーとウッドサイドの間の13号線で、スチュアート・ピンカム(別名リチャード・スチュアート、プア・リチャード)が運転していたとされるパーキンス一行の車は、途中で ピックアップトラックと衝突して深さ1フットの水路に入ってしまった。パーキンスは水中にうつぶせに投げ出されるも、ドラム奏者のホランドがパーキンスをひっくり返して溺死を防いだ。パーキンスは首の脊椎骨を3ヶ所骨折、脳震盪、鎖骨骨折、全身に切り傷を負い、その後1日意識不明となった末に回復した。しかし40歳の農家でピックアップトラックの運転手だったトーマス・フィリップスはハンドルに突っ込んで死亡し、兄のジェイは内臓損傷を伴う首の骨折を負い、この事故が元で合併症により数年後に死亡する大事故となった。

3月23日、ビル・ブラック、スコティ・ムーア、D・J・フォンタナは翌日プレスリーと共演するためにニューヨークへ向かう途中、パーキンスを見舞った。フォンタナはパーキンスが「今まで会った人々の中でも君たちが天使に見えた」と語ったと思い返した[42]。ブラックはパーキンスに「エルヴィスから愛をこめて」と語り、隣のベッドに酸素テントが設置されていたにも関わらずパーキンスのたばこに火をつけた。1週間後、プレスリーから見舞い電報が届いた[43]

3月22日の時点で『ブルー・スエード・シューズ』は50万枚以上を売り上げており[44]、フィリップスは『ペリー・コモ・ショー』においてゴールド・レコードでパーキンスを驚かせようと画策した。パーキンスが怪我から回復する中、『ブルー・スエード・シューズ』はポピュラー、リズム・アンド・ブルース、カントリーの地域的チャートで第1位を獲得し、『ビルボード』誌のBillboard Hot 100とカントリー・チャートでも第2位を獲得していた。プレスリーの『ハートブレイク・ホテル』はポップスとカントリーで第1位であったが、リズム・アンド・ブルースのチャートでは『ハートブレイク・ホテル』よりも『ブルー・スエード・シューズ』の方が上位であった。4月中旬、『ブルー・スエード・シューズ』は100万枚以上を売り上げた[45]

4月3日、ジャクソンで療養中、プレスリーが『The Milton Berle Show』に初登場して「ブルー・スエード・シューズ」を演奏した。プレスリーにとって全米放送でこの曲を演奏するのは『The Steve Allen Show』での2回に続き、これが3回目であった[46][47]


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