この他の性質に関しても、さらなる利用価値を探して研究が進められている。 カーボンナノチューブ及びカーボンナノファイバーに対する最初の観察と研究は、1952年のソビエト連邦までさかのぼる。この時点で既に2人のロシア人科学者によってカーボンナノチューブと思われるTEM写真と文献が書かれていた[28]。しかし、当時は冷戦中という事もあり、その詳細が西側諸国に紹介されることはなく研究は置き去りにされる。 それから20年もの歳月が過ぎた1976年のフランスで、日本の遠藤守信(当時信州大学工学部助手、フランス国立科学研究センター(CNRS)客員研究員。現・信州大学先鋭領域融合研究群カーボン科学研究所特別特任教授)は、後のカーボンナノチューブの存在とその成長モデルを世界に初めて示した[29]。しかし、遠藤の関心はその後、構造の追求よりも成果の実用化に移る。1982年、その生成を連続的に行う量産方法として触媒化学気相成長法を考案し、1987年に特許化する[30]。この方法は、1988年に米国化学会のCHEMTECに発表された[31]。しかし、上述したとおり、この時点では現在のカーボンナノチューブとしての詳細な構造は解明されておらず、構造の解明と決定は1991年の飯島による再発見まで待たねばならない。 一方、米国では、1979年にペンシルベニア州立大学の会議において、ジョン・エイブラハムソンがアーク放電によって低圧の窒素雰囲気中に生成されたカーボン繊維の特殊性について述べており(文献発表は1999年)[32]、1981年にはソビエト連邦の研究者らによって、カーボンナノチューブの表面に当たるグラフェンシートの幾何学構造についての考察文献が発表されている[33]。1987年にはハワード・G・テネットによってカーボンナノファイバーの直径が3.5nmから70nmの間とされる事やその応用性について述べられた[34]。 1991年、日本の飯島澄男(当時NEC筑波研究所研究員。現・名城大学終身教授、NEC特別主席研究員)によって、フラーレンを作っている途中にアーク放電した炭素電極の陰極側の堆積物中から初めてTEM(透過電子顕微鏡)によって発見された[35]。この発見には幸運だけではなく、高度な電子顕微鏡技術も大きな役割を果たしていた。また、電子顕微鏡で観察・発見したというだけでなく、電子線回折像からナノチューブ構造を正確に解明した点に大きな功績が認められている。このときのCNTは多層CNT (MWNT) であった。 触媒金属のナノ粒子とメタン (CH4) やアセチレン (C2H2) などの炭化水素を500?1,000℃で熱分解してCNTを得る。
カーボンナノチューブの発見と生産
作製方法
アーク法
黒鉛電極をアーク放電で蒸発させた際に、陰極堆積物の中にMWNTが含まれる。その際の雰囲気ガスはHeやAr、CH4、H2などである。
金属触媒を含む炭素電極をアーク放電で蒸発させると、SWNTが得られる。金属はNiやCo、Y、Feなどである。
この方法において、正負電極に微振動を連続して加えるフィジカルバイブレーション法がある。これにより、ナノチューブの純度および単位時間当たりの生成量を飛躍的に高めることが可能である[37]。
レーザーアブレーション法
1992年、リチャード・スモーリーのグループによって開発された。レーザーファーネス法とも[38]。
Ni-Co、Pd-Rdなどの金属触媒を混ぜた黒鉛にYAGレーザーを当て蒸発させ、Arの気流で1,200℃程度の電気炉に送り出すと炉の壁面に付着したSWNTが得られる。
高純度なSWNTが得られるが、大量合成には向かない。触媒の種類と炉の温度を変えることで直径を制御できる。
CVD法