1968年にサラザールが事故で一線を退き、後継のマルセロ・カエターノは当初民主化を進める意思を見せたものの、すぐに独裁体制を維持する姿勢に翻意した。主としてポルトガル領ギニアで泥沼の植民地戦争に服務し、危機感を抱いた国軍の青年将校たちは、1973年9月にオテロ・デ・カルヴァーリョ(英語版)大尉を中心として「大尉運動」を結成し、1974年3月に「国軍運動(英語版)(MFA)」に改組、アントニオ・デ・スピノラ(英語版)大将を担いで体制変革を目指すようになった。 1974年4月25日早朝、カルヴァーリョ大尉に指揮されたMFAは、首都リスボンで決起し、市内の要所を占拠した。逃げ込んだ共和国警備隊本部を包囲されたカエターノは為す術もなく投降し、スピノラ大将に権力を委譲した。流血はほとんどない無血革命だった。カエターノとアメリコ・トマス 1974年5月15日、臨時政府が成立し、スピノラ大将が臨時大統領に就任した。しかし、実際に革命を主導したMFAとの溝が深まり、9月30日にスピノラは大統領を辞任、フランシスコ・ダ・コスタ・ゴメス
決起
クーデターの流れ
1975年3月11日、権力を奪回しようとスピノラはクーデターを起こしたが失敗、スペインに亡命した。直ちに共産党と結んだMFA左派の将校達によって革命評議会体制が確立され、臨時政府には社会党や共産党の人士も参加した。だが主導権はMFAにあり、主要産業の国有化や農地改革など社会主義的な政策を採った。
1975年から1976年までの各派閥の権力闘争は熾烈を極め、当初はMFAを主導し共産党と結んだカルヴァーリョや、革命初期の首相ヴァスコ・ゴンサルヴェス(英語版)、そして共産党書記長のアルヴァロ・クニャルが主導権を握り、大資本の国有化や農地改革が行われたが、1975年の議会選挙で社会党が第一党になると、社会党と共産党の対立が激化し、最終的に中道左派路線を掲げる社会党が勝利してMFA左派と共産党勢力は、1975年11月までに追放された。1976年には総選挙と大統領直接選挙が実施され、MFA穏健派出身のアントニオ・エアネス大将が大統領に就任して、革命はようやく終結した。
脚注^ “Portugal profile - Timeline”. BBC (2018年5月18日). 2019年6月18日閲覧。
^ ポルトガルの春みたび 革命後の選択『朝日新聞』1976年(昭和51年)4月28日、13版、7面
参考文献
市之瀬敦『ポルトガルの世界──海洋帝国の夢のゆくえ』社会評論社、2000年12月
金七紀男『ポルトガル史』(増補版)、彩流社、2003年4月
野々山真輝帆『リスボンの春──ポルトガル現代史』朝日新聞社〈朝日選書〉、1992年4月
関連項目.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、カーネーション革命に関連するカテゴリがあります。
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4月25日橋
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