1955年、コービンの町外れを通過する州間高速道路(州間高速道路75号線)が開通すると、車と人の流れは変わり、国道沿いのサンダース・カフェには客が入らなくなった[4][2]。サンダースは維持できなくなった店を手放したが、負債を返済すると手許にはほとんど残らなかった[3][4]。以後サンダースは、フランチャイズビジネスの普及に努め、フライドチキンをワゴン車に積んで各地を移動販売して回った。1960年には米国とカナダで400店舗[3]、1964年までに600店舗を超えるフランチャイズ網を築き上げた[3][4]。
KFCの顔として2006年11月、ネバダ州の砂漠にタイル6万5000枚で描かれた巨大なカーネル・サンダース。面積は7,990m2。現在は存在していない。
1964年、74歳のサンダースは、KFCの権利をジョン・Y・ブラウン・ジュニアに売却して経営の第一線から退いたが、以後も "public spokesman for the company"[4](直訳すれば「会社の広報担当」。日本法人の表現によれば「味の親善大使」[1])として働いた。サンダースは製法が守られているか確認するために世界各国に広がった店舗(1979年には6000店舗を数えた[4])を見て回った。
1970年にKFCが進出した日本には、1972年10月、1978年6月、1980年5月の3度訪れている[1]。KFC日本法人によれば「日本のKFCが一番気に入っている。」と述べていたといい[3]、「日本びいき」であったと紹介している[1]。1980年5月に訪れた日本はサンダースにとって最後の訪問国となった[1]。なお、最後の訪日の際、朝日新聞で受けたインタビュー記事を基に、『週刊朝日』「山藤章二のブラック=アングル」が記されている。
1980年6月、急性白血病を発症したところに[8]肺炎を併発し、同年12月16日に死去した[9][10]。90歳だった。 サンダースはロータリークラブとフリーメイソンのメンバーでもあり[11][12]、多くの慈善活動もおこなった。孤児院の子供のために毎日アイスクリームを提供したり、肢体不自由児のための基金をつくったりしているほか[3]、病院や医学研究、教育、ボーイスカウトなどの活動に資金を提供している[2]。来日した際には交通遺児との交流を行っている[1]。 エジプトのスフィンクス前にはケンタッキースフィンクス前店というフランチャイズ店が建っている[13]。これはサンダースが所属していたフリーメイソンが古代エジプトでピラミッド建立に従事していた(フリーメイソン#起源も参照)とする説があり[注釈 3]その関係でスフィンクスとピラミッドの前に建っているというが、都市伝説の域を出ていない。 ケンタッキー州会議事堂には、カーネル・サンダースの胸像が飾られている。これをめぐって、動物愛護活動家・モデル・女優のパメラ・アンダーソンが、「ニワトリへの残酷行為の象徴」だとして撤去を求めているが、知事は「サンダースはケンタッキーの象徴」と拒否している[14]。
人柄など
ルイビルのケイブ・ヒル墓地 (Cave Hill Cemetery
サンダースの墓標に印されたフリーメイソンのマーク
カーネル・サンダース像イオンモール綾川内に立つカーネル像タイ・バンコクのKFCに立つカーネル像KFC東京ドームシティラクーア店の「おすわりカーネル」
日本国内にあるケンタッキーフライドチキンの店舗の多くでは、店頭にカーネル・サンダース像(繊維強化プラスチック(FRP)製)がディスプレイされている。像そのものが「カーネルおじさん」と呼ばれることがある。日本法人では「カーネル立像」と呼んでおり、立体商標登録されている。 立像は、身長173cm、重量26kg[1][15][16]。サンダースが60歳のころの体形(身長180cm、体重90kg[1])をモデルとした、ほぼ等身大のものである。
大きさと意匠