カート・ヴォネガット
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彼らはまるで金持ちの子がクリスマスに与えられたおもちゃのように扱われており、それは私が兵士だったときとは全く異なる」In These Times ではヴォネガットの言葉として「ヒトラーブッシュの唯一の違いは、ヒトラーが選挙で選ばれたという点だ」と引用している[29][30]。2003年のインタビューでヴォネガットは「わが国のためには、火星人やボディスナッチャーに侵略されて戦ったほうがましだったと思う。時々、本当にそうだったらよかったのにと思う。しかし現実に起こったのは、極めて軽薄で低級な「キーストン・コップス」のようなクーデター劇だった。そしていま連邦政府を牛耳っているのは、歴史も地理もわからないお坊ちゃん学生と、それほど閉鎖的でもない『キリスト教徒』と呼ばれる白人至上主義者と、怖がりの精神病質者すなわちPP (psychopathic personalities) だ」と述べている[31]。2003年のインタビュー冒頭で調子を尋ねられると彼は「高齢であることに夢中で、アメリカ人であることに夢中だ。それはそれとして、OKだ」と応えた[32]

『国のない男』で彼は「ジョージ・W・ブッシュは、彼の周囲に歴史も地理も全く知らないお坊ちゃん学生を集めた」と書いていた。彼は2004年の大統領選挙については全く楽観していなかった。ブッシュとジョン・ケリーについて彼は「どちらが勝ってもスカル・アンド・ボーンズの大統領になることに変わりはない。我々が土壌や水や大気を汚染してきたせいで、あらゆる脊椎動物が頭蓋骨(スカル)と骨(ボーンズ)だけになろうって時にだ」と述べている[33]

2005年、ヴォネガットはオーストラリアン紙によるデイヴィッド・ネイスンのインタビューを受けた。その中で最近のテロリストについて意見を求められ、「とても勇敢な人たちだと思う」と応えた。さらに訊かれるとヴォネガットは「彼ら(自爆テロ犯)は自尊心のために死ぬ。自尊心を誰かから奪うというのはひどいことだ。それはあなたの文化や民族や全てを否定されるようなものだ……信じるもののために死ぬことは甘美で立派なことだ」と答えた。最後の文はホラティウスの金言 "Dulce et decorum est pro patria mori"(お国のために死ぬのは甘美で適切だ)をもじったもので、ウィルフレッド・オーエンの Dulce Et Decorum Est における皮肉な引用が出典とも考えられる。ネイスンはヴォネガットのコメントに腹を立て、生きる希望をなくしテロリストを面白がっている老人だと決め付けた。ヴォネガットの息子マークはこの記事に対する反論をボストン・グローブ紙に書いた。すなわち父の「挑発的な姿勢」の背後にある理由を説明し、「まったく無防備な83歳の英語圏の人物が公の場で思っていることをそのまま言うと誤解し見くびるような解説者は、敵が何を考えているかも理解できていないのではないかと心配すべきだ」と記した[34]

2006年のローリング・ストーン誌のインタビュー記事には、「…彼(ヴォネガット)がイラク戦争のすべてを軽蔑することは驚くべきことではない。2500人を越えるアメリカ兵が、彼が不要な衝突と考えている状況の中で殺されているという事実は彼をうならせる。『正直なところ、ニクソンが大統領ならよかった』とヴォネガットは嘆く。『ブッシュはあまりにも無知だ』」とある[9]

ヴォネガットは常に反体制の立場だったが、アーティストが変化をもたらす力についても悲観的だった。「ベトナム戦争のとき」と2003年のあるインタビューで彼は言っている。「この国のすべてのまともなアーティストは戦争に反対だった。それはレーザービームのように一致し、みんな同じ方向を向いていた。しかしその力は6フィートの高さの脚立からカスタードパイを落とした程度だった」[32]
宗教

ヴォネガットは「従来の宗教的信仰」に懐疑的だったドイツ自由思想の家系の出身である[35]。曽祖父のクレメンス・ヴォネガットは Instruction in Morals と題した自由思想の本を書いたことがあり、自身の葬式については神の存在を否定し、死後の生を否定し、キリスト教の罪と救済の教義を否定した言葉を言い残していた。カート・ヴォネガットは『パームサンデー』の中で曽祖父の葬儀についての言葉を再現し、自由思想が「先祖代々の宗教」だとしているが、どうしてそれが自分に受け継がれたのかは謎だとしていた[36]

ヴォネガットは自身を懐疑論者[36]自由思想[37]ヒューマニスト[37]UU教徒[38]不可知論[36]無神論[38]などと様々に言い表している。超自然的なものは信じず[36]、宗教の教義を「あまりにも独断的で明白に発明されたたわごと」だと考えており、人々が入信するのは寂しさが原因だと信じている[39]

ヴォネガットは自由思想の現代版がヒューマニズムだと見なしており[40]、作品や発言やインタビューで事あるごとにヒューマニズムへの支持を表明している。Council for Secular Humanism の International Academy of Humanism に名誉ヒューマニストとして参加していた[41]。1992年にはアメリカヒューマニスト協会によりヒューマニスト・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。友人のアイザック・アシモフからアメリカヒューマニスト協会の名誉会長の座を引き継ぎ、亡くなるまでそれを務めた[42]。AHA会員への手紙でヴォネガットは「私はヒューマニストであり、それはある意味で死後の賞罰を予想することなく上品にふるまおうとすることでもある」と書いている[43]

ヴォネガットは一時期ユニテリアン主義の一派ユニテリアン・ユニヴァーサリズムに入信していた[36]。『パームサンデー』には、ヴォネガットがマサチューセッツ州ケンブリッジの First Parish Unitarian Church で行った説教(アメリカ合衆国にユニテリアン主義をもたらした William Ellery Channing に関するもの)が収録されている。1986年、ヴォネガットはニューヨーク州ロチェスターでユニテリアン・ユニヴァーサリズムの集会で講演し、その原稿が『死よりも悪い運命』に収録された。同書には、ニューヨーク州バッファローで行った「ミサ曲」も収録されている[44]。ヴォネガットによれば、二度の大戦の間にアメリカ合衆国で自由思想や他のドイツ人の「宗教的狂信」の人気がなくなったとき、彼の自由思想の一族の多くがユニテリアンに改宗したという[37]。ヴォネガットの両親はユニテリアン式の結婚をしており、彼の息子も一時期ユニテリアンの聖職者だったことがある[36]

ヴォネガットの宗教観は単純なものではない。イエス・キリストの神性を拒絶するにもかかわらず[38]、イエスの祝福が彼のヒューマニズムの根本にあると信じている[45]。彼は自分を不可知論者または無神論者だとしているが、同時に神についてよく語っている[37]。「先祖代々の宗教」が自由思想、ヒューマニズム、不可知論だと説明し、ユニテリアン信者であるにも関わらず、自身を無宗教だとも言っている[37]アメリカヒューマニスト協会によるプレスリリースでは、彼を「完全な俗人」だとしていた[43]


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