カート・ヴォネガット
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発表当時、これをヴォネガットの作品と誤解する読者が多く、後に作者が明らかにされるとヴォネガットは不快感を表明した(ヴォネガットはファーマーに執筆の許可を与えていたのだが、予想を超えた騒ぎに怒りを表明し、さらなる「トラウト作品」の刊行を拒否した[25])。

ヴォネガットは1984年に自殺未遂しており、後にいくつかのエッセイでそのことについて書いている[26]

登場人物以外にも頻繁に登場するテーマまたはアイデアがある。例えば『猫のゆりかご』の「アイス・ナイン」である。

ヴォネガット本人は「SF作家」とレッテル付けされるのを嫌ったが、一方で「現代の作家が、科学技術に無知であることはおかしい」と主張しほとんどの作品でSF的なアイデアが使用されている。それでもSFというジャンルの壁を越えて幅広く読まれたのは、単に反権威主義的だったからだけではない。例えば短編「ハリスン・バージロン」は、平等主義のような精神が行過ぎた権力と結びついたとき、どれほど恐ろしい抑圧を生むかを鮮やかに描いて見せている。

1997年の『タイムクエイク』出版に際して、ヴォネガットは同書が最後の小説になると発表し、以降はエッセイやイラストの発表、講演等を中心に活動した。2005年にはエッセイをまとめた『国のない男』を出版し、文筆業そのものからの引退を表明した[27]

死の直後に出版されたエッセイ集『追憶のハルマゲドン』には、未発表の短編小説や第二次世界大戦中に家族宛てに書いた手紙などが含まれている。またヴォネガット本人の描いた絵や死の直前に書いたスピーチ原稿も含まれている。序文は息子のマーク・ヴォネガットが書いている。

ヴォネガットはハーバード大学で英文学の講師をつとめたことがあり、ニューヨーク市立大学シティカレッジでも一時期教授をつとめていた[28]
日本での受容

日本においては1960年代後半から浅倉久志伊藤典夫等によって精力的に紹介されていた。1980年代になり日本でも主要な作品の多くが和田誠のカバーイラストと共にハヤカワ文庫SF早川書房)より刊行された。

1984年には国際ペン大会ロブ=グリエ巴金等と共にゲストとして来日し大江健三郎とも会談している。

ヴォネガットから影響を受けた日本人作家としては、第一作の『風の歌を聴け』でヴォネガットのスタイルを模写した村上春樹高橋源一郎橋本治等がいる。爆笑問題太田光は熱心なファンとして知られ彼らが設立した所属事務所「タイタン」の名称は『タイタンの妖女』と「太田」の別読みをかけて付けられたものである。
政治姿勢

ヴォネガットは初期の社会主義労働者リーダーに強く影響を受けており、特にインディアナ州の Powers Hapgood とユージン・V・デブスは作品内でも頻繁に言及している。登場人物にもデブスの名をつけたり(『ホーカス・ポーカス』や『デッドアイ・ディック』)、ロシアのレフ・トロツキーの名をつけたり(『ガラパゴス』)している。ヴォネガットはアメリカ自由人権協会の会員でもあった。

ヴォネガットは倫理問題や政治問題を扱うことが多かったが、具体的な政治家について言及するようになったのは小説執筆から引退してからのことである。『ジェイルバード』の主人公ウォルター・スターバックが囚人となったのはリチャード・ニクソンウォーターゲート事件が原因だが、物語の中心はそこではない。God Bless You, Dr. Kevorkian では、論争の的となった自殺幇助者ジャック・ケヴォーキアンに言及している。

In These Times 誌のコラムでは、ブッシュ政権とイラク戦争について痛烈な批判を展開した。「我々のリーダーが権力におぼれたチンパンジーだと言ったら、私は中東で戦い死んでいっている兵士たちの士気を台無しにすることになるだろうか?」とヴォネガットは書いている。「彼らの士気は多数の死体と共にすでにばらばらになっている。彼らはまるで金持ちの子がクリスマスに与えられたおもちゃのように扱われており、それは私が兵士だったときとは全く異なる」In These Times ではヴォネガットの言葉として「ヒトラーブッシュの唯一の違いは、ヒトラーが選挙で選ばれたという点だ」と引用している[29][30]。2003年のインタビューでヴォネガットは「わが国のためには、火星人やボディスナッチャーに侵略されて戦ったほうがましだったと思う。時々、本当にそうだったらよかったのにと思う。しかし現実に起こったのは、極めて軽薄で低級な「キーストン・コップス」のようなクーデター劇だった。そしていま連邦政府を牛耳っているのは、歴史も地理もわからないお坊ちゃん学生と、それほど閉鎖的でもない『キリスト教徒』と呼ばれる白人至上主義者と、怖がりの精神病質者すなわちPP (psychopathic personalities) だ」と述べている[31]。2003年のインタビュー冒頭で調子を尋ねられると彼は「高齢であることに夢中で、アメリカ人であることに夢中だ。それはそれとして、OKだ」と応えた[32]

『国のない男』で彼は「ジョージ・W・ブッシュは、彼の周囲に歴史も地理も全く知らないお坊ちゃん学生を集めた」と書いていた。彼は2004年の大統領選挙については全く楽観していなかった。ブッシュとジョン・ケリーについて彼は「どちらが勝ってもスカル・アンド・ボーンズの大統領になることに変わりはない。我々が土壌や水や大気を汚染してきたせいで、あらゆる脊椎動物が頭蓋骨(スカル)と骨(ボーンズ)だけになろうって時にだ」と述べている[33]

2005年、ヴォネガットはオーストラリアン紙によるデイヴィッド・ネイスンのインタビューを受けた。その中で最近のテロリストについて意見を求められ、「とても勇敢な人たちだと思う」と応えた。さらに訊かれるとヴォネガットは「彼ら(自爆テロ犯)は自尊心のために死ぬ。自尊心を誰かから奪うというのはひどいことだ。それはあなたの文化や民族や全てを否定されるようなものだ……信じるもののために死ぬことは甘美で立派なことだ」と答えた。最後の文はホラティウスの金言 "Dulce et decorum est pro patria mori"(お国のために死ぬのは甘美で適切だ)をもじったもので、ウィルフレッド・オーエンの Dulce Et Decorum Est における皮肉な引用が出典とも考えられる。ネイスンはヴォネガットのコメントに腹を立て、生きる希望をなくしテロリストを面白がっている老人だと決め付けた。ヴォネガットの息子マークはこの記事に対する反論をボストン・グローブ紙に書いた。すなわち父の「挑発的な姿勢」の背後にある理由を説明し、「まったく無防備な83歳の英語圏の人物が公の場で思っていることをそのまま言うと誤解し見くびるような解説者は、敵が何を考えているかも理解できていないのではないかと心配すべきだ」と記した[34]

2006年のローリング・ストーン誌のインタビュー記事には、「…彼(ヴォネガット)がイラク戦争のすべてを軽蔑することは驚くべきことではない。2500人を越えるアメリカ兵が、彼が不要な衝突と考えている状況の中で殺されているという事実は彼をうならせる。『正直なところ、ニクソンが大統領ならよかった』とヴォネガットは嘆く。『ブッシュはあまりにも無知だ』」とある[9]

ヴォネガットは常に反体制の立場だったが、アーティストが変化をもたらす力についても悲観的だった。「ベトナム戦争のとき」と2003年のあるインタビューで彼は言っている。「この国のすべてのまともなアーティストは戦争に反対だった。それはレーザービームのように一致し、みんな同じ方向を向いていた。しかしその力は6フィートの高さの脚立からカスタードパイを落とした程度だった」[32]
宗教

ヴォネガットは「従来の宗教的信仰」に懐疑的だったドイツ自由思想の家系の出身である[35]。曽祖父のクレメンス・ヴォネガットは Instruction in Morals と題した自由思想の本を書いたことがあり、自身の葬式については神の存在を否定し、死後の生を否定し、キリスト教の罪と救済の教義を否定した言葉を言い残していた。カート・ヴォネガットは『パームサンデー』の中で曽祖父の葬儀についての言葉を再現し、自由思想が「先祖代々の宗教」だとしているが、どうしてそれが自分に受け継がれたのかは謎だとしていた[36]

ヴォネガットは自身を懐疑論者[36]自由思想[37]ヒューマニスト[37]UU教徒[38]不可知論[36]無神論[38]などと様々に言い表している。


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