カート・ヴォネガット
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『スローターハウス5』はタイム[17]や Modern Library[18] のベスト100に選ばれている。

2007年4月11日にニューヨークにて死去[2]
私生活

当初、作者名として本名の「カート・ヴォネガット・ジュニア」を使っていたが、1976年の『スラップスティック』から「ジュニア」をとって単に「カート・ヴォネガット」とするようになった。兄のバーナード・ヴォネガット気象学者でヨウ化銀を用いた人工降雨法を開発したほか、1997年度のイグノーベル賞を受賞している。

第二次世界大戦から戻った直後に幼馴染のジェーン・マリー・コックスと結婚した。プロポーズのいきさつは何度か短編に書いている。1970年に別居したが、正式に離婚したのは1979年のことである。マハリシ・マヘッシ・ヨギに傾倒していた妻と確信的無神論者であるヴォネガットの間の宗教上の不一致が原因とされている。ただし、別居直後に後に結婚することになる写真家・児童文学者のジル・クレメンツと同棲し始めた[2]。クレメンツとの結婚は、前妻との離婚が成立して後のことである。

彼の7人の子供のうち、3人はジェーン・マリーとの子で、癌で早世した姉の3人の子を養子にし、さらにクレメンツの連れ子1人を養子とした。そのうちヴォネガットの唯一の実子の男子であるマーク・ヴォネガットは小児科医となった。マークは自身が1960年代に経験した統合失調症からの回復の記録である『エデン特急―ヒッピーと狂気の記録』を記した。マークの名はヴォネガットがアメリカの聖人だと考えていたマーク・トウェインからとった[19]

娘のエディスの名はヴォネガットの母からとったもので、彼女は後に画家になった。その妹のナネットの名はヴォネガットの父方の祖母の名をとったもので、彼女は Scott Prior という画家と結婚し、何度かモデルを務めている。

姉の子3人を引き取ったのは、姉の夫が1958年9月に列車事故で亡くなり、姉自身もその2日後に癌で亡くなったためである。その経緯は『スラップスティック』に描かれている。

1999年11月11日、小惑星 25399 Vonnegut にヴォネガットの名がつけられた[20]

2001年1月31日、自宅の一部が火事になり、ヴォネガットは煙を吸い込んで一時危険な状態となり、4日間入院した。命に別状はなかったが、蔵書が失われた。退院後はマサチューセッツ州ノーザンプトンで療養した。

ヴォネガットはフィルターのないポールモールを好んで吸っていた。これについて自ら「高級な自殺方法」だと語っていた[21]

2007年、マンハッタンの自宅の階段で転倒して脳に損傷を負い、その数週間後の4月11日に死去[2][22]
作家としての経歴

1950年に短編「バーンハウス効果に関する報告書」でSF作家としてデビューした[23]。処女長編はディストピア小説『プレイヤー・ピアノ』(1952) で、人間の労働者が機械に置き換えられていく様を描いている。その後短編を書き続け、1959年に第2長編『タイタンの妖女』を出版[24]。1960年代には徐々に作風が変化していった。『猫のゆりかご』は比較的普通の構造だが、半ば自伝的な『スローターハウス5』ではタイムトラベルをプロット構築の道具として実験的手法を採用している。この作品から『チャンピオンたちの朝食』以降の後期作に受け継がれていく特徴的なスタイル(架空の人物の自伝的形態を採る、まえがきを持つ、イラストの多用、印象的な挿話を連ねる)が全面的に展開された。

ベストセラーとなった『チャンピオンたちの朝食』(1973) では作者本人が「デウス・エクス・マキナ」として登場する。また、ヴォネガット作品に繰り返し登場する人物たちも出てくる。特にSF作家キルゴア・トラウトが主役級で登場し、他の登場人物たちとやりとりする。

ヴォネガットの作品には慈善家エリオット・ローズウォーター、ナチ宣伝員ハワード・W・キャンベル・ジュニア、ラムファード一族、トラルファマドール星人などの架空の固有名が複数の作品にまたがって登場する。

なかでもスタージョンをモデルに造形されたといわれるSF作家キルゴア・トラウトはカート自身の分身とも言われ『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』で初登場して以来、長編ではおなじみの人物であり『タイムクエイク』では主役として活躍する。『モンキーハウスへようこそ』以降、短編を著していないヴォネガットがトラウトの小説のあらすじという形で短編用のアイデアを披露している。ヴォネガットはキルゴア・トラウトの名を借りて個人的意見を作品内で表明することが多い。

また、SF作家フィリップ・ホセ・ファーマーはキルゴア・トラウト名義で『貝殻の上のヴィーナス』(Venus on the Half-Shell 1975年)を発表し話題となった。発表当時、これをヴォネガットの作品と誤解する読者が多く、後に作者が明らかにされるとヴォネガットは不快感を表明した(ヴォネガットはファーマーに執筆の許可を与えていたのだが、予想を超えた騒ぎに怒りを表明し、さらなる「トラウト作品」の刊行を拒否した[25])。

ヴォネガットは1984年に自殺未遂しており、後にいくつかのエッセイでそのことについて書いている[26]

登場人物以外にも頻繁に登場するテーマまたはアイデアがある。例えば『猫のゆりかご』の「アイス・ナイン」である。

ヴォネガット本人は「SF作家」とレッテル付けされるのを嫌ったが、一方で「現代の作家が、科学技術に無知であることはおかしい」と主張しほとんどの作品でSF的なアイデアが使用されている。それでもSFというジャンルの壁を越えて幅広く読まれたのは、単に反権威主義的だったからだけではない。例えば短編「ハリスン・バージロン」は、平等主義のような精神が行過ぎた権力と結びついたとき、どれほど恐ろしい抑圧を生むかを鮮やかに描いて見せている。

1997年の『タイムクエイク』出版に際して、ヴォネガットは同書が最後の小説になると発表し、以降はエッセイやイラストの発表、講演等を中心に活動した。2005年にはエッセイをまとめた『国のない男』を出版し、文筆業そのものからの引退を表明した[27]

死の直後に出版されたエッセイ集『追憶のハルマゲドン』には、未発表の短編小説や第二次世界大戦中に家族宛てに書いた手紙などが含まれている。またヴォネガット本人の描いた絵や死の直前に書いたスピーチ原稿も含まれている。序文は息子のマーク・ヴォネガットが書いている。

ヴォネガットはハーバード大学で英文学の講師をつとめたことがあり、ニューヨーク市立大学シティカレッジでも一時期教授をつとめていた[28]
日本での受容

日本においては1960年代後半から浅倉久志伊藤典夫等によって精力的に紹介されていた。1980年代になり日本でも主要な作品の多くが和田誠のカバーイラストと共にハヤカワ文庫SF早川書房)より刊行された。

1984年には国際ペン大会ロブ=グリエ巴金等と共にゲストとして来日し大江健三郎とも会談している。

ヴォネガットから影響を受けた日本人作家としては、第一作の『風の歌を聴け』でヴォネガットのスタイルを模写した村上春樹高橋源一郎橋本治等がいる。爆笑問題太田光は熱心なファンとして知られ彼らが設立した所属事務所「タイタン」の名称は『タイタンの妖女』と「太田」の別読みをかけて付けられたものである。
政治姿勢

ヴォネガットは初期の社会主義労働者リーダーに強く影響を受けており、特にインディアナ州の Powers Hapgood とユージン・V・デブスは作品内でも頻繁に言及している。登場人物にもデブスの名をつけたり(『ホーカス・ポーカス』や『デッドアイ・ディック』)、ロシアのレフ・トロツキーの名をつけたり(『ガラパゴス』)している。ヴォネガットはアメリカ自由人権協会の会員でもあった。

ヴォネガットは倫理問題や政治問題を扱うことが多かったが、具体的な政治家について言及するようになったのは小説執筆から引退してからのことである。『ジェイルバード』の主人公ウォルター・スターバックが囚人となったのはリチャード・ニクソンウォーターゲート事件が原因だが、物語の中心はそこではない。God Bless You, Dr. Kevorkian では、論争の的となった自殺幇助者ジャック・ケヴォーキアンに言及している。


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